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2023年9月、55歳になりました。ひろみGOGO!でまいります!

誕生日にグループホームで暮らす母に会いに行きました。

私「お母さん、私、今日が誕生日やねん」

母「そうかいな。それはおめでとう!ほんであんた、いくつになったんや?」

私「55歳やで」

母「へぇ〜、あんた、えらい歳になって〜。私は83歳や、私もえらい歳やわ。アーハッハー」

相変わらず元気でよく笑う母から誕生日におめでとうを言ってもらえた。嬉しかった。

そへと、確かに私もえらい歳になっていた。人生の折返し地点はとうに過ぎている。母と比べたらその「えらさ」はまだまだだけど。

母、私、娘、女三代

阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝した日。高校時代からの親友たちとランチをしました。いつものことながら喋りに喋って、笑いに笑って、食べにて食べて。

波長が合うとはこのことで。誰が何を話してもツーカーで通じるし、誰かがボケたら間髪を入れず誰かがツッコむ。しかもみんなめちゃくちゃおもしろい。昭和感いっぱいだけど、そのセンスの良さには惚れ惚れします。なかなかできる私たち。

そんな昭和のやかましい私たちの最近の話題はというと、もっぱら親の介護やお墓の話、そして健康の話が大半を締めています。

ちょっと前までは、子育ての話がメインでした。子どもの反抗期の話や、おいしくて簡単に作れるお弁当のおかずを教え合ったり。

どんな話題でもボケとツッコミとオチまでつける天才的におもしろい私たちだけど(自画自賛とはこのこと)。今ではその話題が以前とはすっかり変わってしまいました。

母の言うとおり、確かに、確実に、えらい歳になったなと、友だちと話していても実感しました。

39年ずっと友達

15年前、大動脈解離の後遺症で歩けなくなった時、子どもたちを守るんだ!歩けないことが絶望だと思いたくない!って、私は必死で頑張っていました。

今から思うと、我ながらよく頑張った。本当に。

そして2年前、感染性心内膜炎になり、再び生死の境をさまようことになった時、15年前と同じように体力が落ち、できなくなったことが増え、また気力も意欲もなくなってしましました。

仕事も、これまでのようにできなくなって落ち込んだし、何よりも社会から遠ざかっていく感覚がすごくこわかったです。

そんな中、昨年末には胆嚢結石症でまた大きな手術をし、さらに体力、気力が落ちて、仕事もまたセーブをしなくてはいけなくなりました。

このままでいいのか。もっと頑張らないといけないのに。15年前のようにはとても頑張れない。そんな頑張れない自分のことを、罪悪感でなかなか受け入れることができませんでした。

そんな時、娘・奈美がニューヨークへ行こうと誘ってくれました。

私はニューヨークが大好きなのです。
2019年に仕事で奈美とニューヨークに行ってから大好きになり、必ずまたニューヨーに行くんだと心に決めて日々、それを目標に頑張っていました。

だから落ち込む私に娘の誘いは大変、嬉しいものでした。

でも、まだ体調不安があるゆえ、嬉しいよりも不安のほうがずっと大きくあって。行くと言ったものの、実は行く前日まで行くのを辞めようかと迷ってました。

ところが。

迎えたニューヨーク行きの朝。気分は一転していて、なんだかワクワク、ルンルン、楽しくなり始めていました。

なぜ急にそんなに楽しくなったのか、自分でも不思議でした。最後は開き直って、行く!って覚悟を決めたからかなと、今となってはそう思います。

ニューヨーク滞在中、会いたかった人に会い、トークイベントに登壇し、行きたかったところに行き、食べたいものを食べ、バリアフリーな街とニューヨーカーの優しい無視と適当なフレンドリーさを全身で感じながら、気がつくとあんなにあった不安はすっかりなくなっていました。そのかわりに毎日が楽しくて、楽しくて。

私はいったい何に落ち込んでいたんだろう?
私の不安って何だったの?
なぜ意欲がでなかったの?

病気をして心細くなって自信を失って、すっかり狭くて小さくなった私の世界に、本当はずっとあったはずの私の元気がいなくなっていました。

体調が悪くなるかもしれないからやめておこう。
頑張れない自分のことを許せない。
何もしていない自分の罪悪感。

こんな思いが心のの重りになって、何をするにもマイナス思考になっていました。

それがなんてことでしょう!ニューヨークで過ごすうちに、ちっぽけな私の思い込みがどうでもよくなってきたのです。

誰も車いすにのる私のことを気にしていないし、行けるかどうかを心配しても、しなくても、とりあえず行ってみたらなんとかなるし、楽しくなるし。

行けないと思うのも、行けると思うのも私の自由。

何をするのか、何を思うのか、私の自由だー!

もっと自由でいいんだー!
もっとわがままで、もっと楽しく、もっと笑って生きよう!
自分の幸せは自分で決めるんだー!

ニューヨークの街に、人に、私の心が解き放たれたのです。

体調が悪くなるかもしれないからやめておこう。ではなくて、なんとかなるからやってみよう!と勇気をだして自分で「やる」という選択ができたからそう思えたのかも。

どこにでもバリアフリーがあるNY

若い頃は命に限りがあるってことを意識せずにいました。けれど、55歳。江戸時代だったら平均寿命は等に超えている。今は令和だけど、大病を何度もしてきた私からすると、そろそろ人生を逆算して生きなきゃいけないと思い始めてました。

まずはこの10年をどう生きるのか。
そして今年を、来年をと。

ニューヨークから帰ってきてからずっと、私はなんだか不思議ととても、ずっと元気です

相変わらず健康不安も将来の心配もあるけれど。それでもニューヨークに行けたことは私の大きな自信となって、今も私を元気づけてくれます。

母の言うとおり私は「えらい歳」になりました。
だから、えらい歳を記念してここに宣言します。

これからは、なんとかなるさ!って楽しく、好きなように、わがままに、時には勇気を出して新しい一歩を踏み出すことにも恐れずに、死ぬまで晴れやかに生きていきます。

55歳のひろみ、GOGO!





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岸田ひろ実
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