公教育への不信感①
私は教員免許を持っているが、教員にはならず行政職の公務員をしている。
教員の方が給与もいいし、子どもも大好きなのでやりがいもありそうと思う。
しかし、どうも踏み切れなかったのは、学校という組織への不安、不信感が私の記憶の根底に寝そべっていたからだ。
その不信感の始まりは小学校及び中学時代のイジメられ体験に遡る。
小学校ではクラス会議に晒され、先生に好き嫌い調査の結果を親に報告され、自己肯定感を下げられた。
クラスでいじめられたことより、先生が助けるどころか追い討ちをかけるように私の欠点を見える化してきたのが辛かった。
中学でも、私がいじめられている事実を先生は正視せず、見て見ぬふりをした。もう、この頃にはすでに教師や親は見限っていたのでショックもなく、ただ学校と教師に頼るのは辞めようと悟り、自分の世界(オタク)に生きることでどうにか生き延びた。
おかげで私はいじめられながらも皆勤賞で卒業した。
不幸なことにいじめ加害者と同じ高校に進学した私だが、妄想によるいじめの透かし方を習得したので空気のように共存することができ、いつしか友達もできていた。
そんな私が大学で教員免許を取ろうと思ったのは、学校の先生にろくな人材がいなく、私みたいに強くもない子たちは救われないのではないかと心配になったからだ。
褒められることしか興味のない良い子先生ばかりでは、マイノリティーや不器用な子に寄り添うことはできないのではないかと。
しかし、私の卒業したのは就職氷河期まっただ中、教員試験の倍率もたしか13倍とかだった。高校教員は20倍くらいあったかな。
私は落ちた。そして、家族の強い勧めで役所を受け合格。役所仕事向いてないのはわかっていたけど、採用試験合格までの腰掛けのつもりで入庁した。
しかし、そこで待っていたのは教員という仕事へのさらなる落胆だった。
私は教育委員会に配属され、学校教育の内情を知ってしまう。
確かに給料は行政職よりかなり良い。しかし、校務分掌が多すぎる。給食主任、PTA、研修、各種調査…。そして1番ショックだったのが、教師の質。おばさん教師の事務能力の低さにはドン引きしたし、明らかにあたまのわるそうな教師の子がいつのまにか特別支援学校の教師になってたり…既得権の匂いがプンプンした。
こんなひとたちが権力の座にいたら学校は良くならないと感じたし、私は居心地悪いだろうなと思ってしまい、教職の道は遠のいて行った。