自分軸と他人軸
ここ数年、自分軸という言葉を耳にすることが多くなってきました。
自分軸と他人軸の違いというと、「自分がどうしたいか」と「どう見られたいか」の違いであると説明されることが多いように思います。
しかし実際、その2つの違いを明確に区別することって案外難しいんじゃないかな? とも感じます。
「自分はこうしたい」と思っていることの多くは、実際には親などの身近な人の思考だったり、社会的・時代的によしとされる価値観に基づいているからです。
私たちが自分自身のものだと思っている思考は、そのほとんどが外の世界からの受け売りに過ぎません。
思考というのは本来的にそういうものであって、全くのオリジナルの思考と言えるようなものはそもそも存在しないのかもしれません。
だとすると、思考に頼って生きようとする限り、私たちは他人軸で生きることを免れないということになります。
でも、そうやって生きていると生きづらさを感じてしまうわけですよね。
じゃあ、自分軸を確立するにはどうしたらいいのかというと、そこで必要になってくるのが《感じる力=感覚》だと思っています。
思考が頭の領域だとすると、感覚は心と体の領域にあたります。
私たちは普段、思考によって秩序づけられた社会システムの中で生きているので、個人レベルでも知らぬ間に思考優位になってしまって、心や体が何をどう感じているかということにはほとんど注意を払っていません。
しかし、「幸せ」というとりとめのないものを考えたときに、基準になるのは思考による「いい/わるい」という判断ではなく、心と体で感じた「快/不快」という感覚であると言えるでしょう。
そして、感覚は思考と違ってその人固有のものでしかありえません。それこそ紛れもなく自分軸と言えます。
なので、自分軸で生きるにはどうしたらいいのかという問いに対する答えは、「心と体の感覚に従うこと」だということになりますが、これはすぐにできるようなものでもありません。
感じる力は使わないでいると鈍っていくものなので、多くの場合、感覚を取り戻すことから始めることになるからです。
また、逆境体験が多かったりトラウマを抱えていたりすると、「快/不快」のセンサーが故障してたりするので、そういった場合、まずは心身をニュートラルな状態に戻していくのがいいかもしれません。
ちなみに、「快/不快」がわかりやすく現れているのが呼吸の状態です。
どんなときに呼吸が浅く/深くなるのか。
どんなときに速く/遅くなるのか。
吸う息と吐く息のバランスはどうか。
いつ、どこで、だれと、どんなことをしているときに、心地いい呼吸ができているか。あるいは乱れてしまうのか。
心地いい呼吸ができるとき、それはその人が幸せを感じている瞬間でもあるでしょう。
というわけで、呼吸の状態に意識を向けることは、感じる力を取り戻し、自分軸を確立する手がかりになるんじゃないかな? と思っています。
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