縄文族の祭
アベプラをみた。
縄文タトゥーが取り上げられなおかつSNS上で細々と交流のある全身縄文タトゥーを施した精神科医の遠迫先生が当事者として出演なさることを知ったのでたのしみにしていた。
タトゥーに対して拒否感のあるなしは人それぞれだと思うが私は遠迫先生のタトゥー、つまり縄文タトゥーは美しいと思う。全身に及ぶ黒とシンメトリーな紋様に惚れ惚れする。タトゥーアーティストの大島托さんのウェブギャラリーを何度も覗きに行っている。
ただ自分に入れるかというとその気はいまのところない。縄文タトゥー以外のタトゥーを美しいと感じるかというと、それもない。そういうスタンスだ。
タトゥーを入れているからといって特別な感情は抱かない。どちらかというと図柄にその人のセンスを見てしまう感じか。
何様なんでしょうね、人さまのタトゥーに。つまりは皮膚にああだこうだ言いたいだなんて。
番組は全体的にタトゥーに対して肯定的な要素が強くて少し安心した。いまや多様性という言葉を具体的なものにしようとメディアも頑張っているのだろう。
ただスパに入れる入れないも大事だけどアート的な側面をもうちょっと深掘りして欲しかった。しかし、それはアベプラの仕事じゃないんだろう。
むしろアベプラで取り上げることでこういうカルチャーがあるのか、と認識する人が増えて対象を知らないことが原因の嫌悪感丸出しになる物事がひとつでも減ることにつながればいいと思った。
精神科医である遠迫先生が言ってたが、リスカにせよタトゥーにせよ「これをしなければ生きていけない」という人もいる、生きるために痛みを与えるのだと。
皮膚は内的世界と現実との境目だからその境目にずっと痛みを与え続けることは生きることだろうなと無責任に思った。
死にたいわけじゃないが死にたいほど苦しいとき、その死にたさを受け入れないとどうにもならないことはあるだろう。現実側から痛みで知らせるのだろうか、生きていることを。
痛覚はネガティブな感情を消す作用もある筈。鬱ぽい時に肉体に痛みが生じているとそっちに集中して抑うつ的な気分を忘れる場合もある。滲む血の色を見て自分が生きていることを認識することもできるんじゃないか。
ちなみに遠迫先生は46歳で耐えがたいような経験(他人が言葉にすると軽くなってしまうけど)をしてそれをある種自分に刻むためまず腕に入れたそう。
そこから5年かけて全身を黒いタトゥーと縄文の文様と蛇で彩った。
精神科医師としてリストカットをする人たちと接していたけれど彼女・彼らにより寄り添えるようになったということを仰ってた。
死にたいから自分を傷つけるのでも、誰かを命がけで威嚇するために切り刻むのでもない。自分を確認するために、生きるための結果がタトゥーであり傷跡であるのだ。(もちろん単にファッションとして入れる人もいるし文化的背景と個人によって意味合いは異なる。)
遠迫先生はタトゥーを入れた自分がしっくりきたとおっしゃってた。後悔もないと。そういうタトゥーであるのだとするなら受け止め方は変わるのだが、これも自身の勝手な思考かもしれない。これは良くてこれはダメとジャッジするつもりはないとしても。
ただタトゥーにまつわるネガティブな感情のせいで事実ではないことが流通しているようで禁忌と言われている医療機器のMRIには問題なく入れるそうだ。
へぇ。と思った。タトゥーインクの金属に反応するから火傷するというのはデマではないにせよ誤解みたいなものだったのか。(赤いタトゥーインクには鉄が使われているため反応する可能性があるということ、最近ではMRIに反応しない赤いインクが使われるとのことだった)
タトゥーを入れる気はないが、入れない理由の三つ目くらいにMRIに入れなくなるという思い込みがあった。私は無類のMRI好きだから入れなくなるのは困ると思っていたのだ。
タトゥーを入れたいと思っている人がいたら社会的な視線の厳しさはいまだあるだろうし、入れる動機も様々でビジョンクエスト的な側面もあるだろうけど本当の気持ちはあなただけのものだから後悔のないタトゥーを。と言うしかない。
ちなみに遠迫先生と私の出会いはWebメディアのHAGAZIN。連載されていたワクサカソウヘイさんの記事を読んだ時にたまたま目に入ったのが遠迫先生の連載だった。
こんな精神科医がいるのかと興味を持ち、Twitterをフォローした。そしてタトゥーがあまりにも美しくてチラ見するようになった。
そしてある日私はnoteに初めて短編の物語を書いた。宣伝するのは気が進まなかったが誰にも読んで貰えないのは少し寂しい。
誰も見てないだろうと思い朝5時くらいにそのことをツイートしたら遠迫先生が読んでくれて、すばらしく美しいといってくれたのだった。
いやいや、遠迫先生のそのタトゥーも信じられないくらいきれいですよと思ったものだ。そんな美しいタトゥーをまとう人に褒められてうれしかった。
その後、遠迫先生のタトゥーに熱視線を送っている。上の記事は遠迫先生が自らの経験を語られている。
自分が自分だと安心していられる世界になるようにと祈りを込めて感想を書いてみた。
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