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あゝ荒野 わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばさるものは妬まぬ

岸善幸監督の「あゝ、荒野」をみた。

(あゝ、荒野」イメージ(C)2017 「あゝ、荒野」フィルムパートナーズ」

前後編合わせてみたので終わるころには腰とお尻が大変なことになっていたが、それも厭わないで観るべきとてもいい映画だった。
青春映画、たしかにそうだと思った。長い夢をみてるみたいな映画だった。

寺山修司長編小説原作の「あゝ、荒野」の舞台を2021年から2020 年にして、新宿新次とバリカン健二を兄貴と呼ばれるのはバリカンのほうで新次より年上という設定、そして2人の心的な葛藤の存在をよりわかりやすくするために山田裕二というキャラクターが設けられていたり、宮村や二代目の小説を映画にするにあたっての監督の改変はおおむね、成功していた。
それは政治的題材についても同じことを思った。近い将来おきそうな、厄介さを孕んでいる。

(「あゝ、荒野」イメージ(C)2017 「あゝ、荒野」フィルムパートナーズ)

本作でまず言うべきは菅田将暉の魅力だと思う。輝いてたと思う。
それはもう痛いほどわかる。
わかるのだけど、私はなによりユースケサンタマリアの片目(堀口)にやられてしまった。
ユースケサンタマリアがアホほどいいのだ。貧乏ボクシングジムをやっていて、新次とバリカンをスカウトして育てていく、片目。
このユースケサンタマリアの存在の癒しの力たるや。
すべてを受け止める役割を果たしていたのだ映画の片目は。

バリカンの鬱屈と、女の悲しみと、でんでん演じる老トレーナー馬場の居場所のなさを、自身のさみしさを。そういうものを一切合切抱える存在である片目をあの軽妙で軽くて柔らかい様子で演じ切っていた。
演技というよりユースケサンタマリア個人の性質に由来した何かが醸されていたのだろうか、と思ってしまうほどに一体となって。
この前のNHKのドラマでも思ったのだけど、おそろしく役者として成熟している感じというのがある。今回それを見せつけられた。今作のユースケサンタマリアは必見だと思った。

そして、トレーナー馬場役のでんでんも、それ本職だろ。と思うくらいの年老いたボクシングのトレーナーぶりで、存在感が素晴らしかった。
つまりは脚本と演出が完璧に作用していたということだと思う。
この愛すべき2人の存在により菅田将暉演じる新次とヤン・イクチュン演じるバリカンの生は彩られていた。

そして社長役の高橋和也。
不能でちくわと称する自分の男性器という生の象徴を振り回すアッパーな役回りなのだが、バリカンと新次の試合のラスト、バリカンの意図を理解する者として描かれる。試合終了の鐘を鳴らすまいとゴングを奪う姿にこれまた泣かされた。

吃音のバリカンを韓国人俳優のヤン・イクチュンが演じている。
ヤン・イクチュンがこれまた、泣けるジャガイモぶりなのである。理不尽にひねり潰されそうな存在としての生を目の表情ひとつで演じていた。
親父に理不尽に殴りつけられ育ち、馴染んでいた韓国から強制的に親父の手により日本に連れてこられた。10歳の頃に。
韓国語でも日本語でも赤面し、ひどく吃るという設定が痛烈である。友達も恋人も誰も心を繋ぐ者がいないバリカンに、新次の眩しさは憧れでもあるし、立ちはだかるものでもある。
ひたすら新次に従うことが彼のおそらくは幸福であったのだ。後ろを追うことが。
原作ではバリカンが新次を兄貴と呼んでいる。その立場の変換として映画には山田裕二がいたのだと思う。裕二が語る新次への思いがバリカンを象徴してもいた。
バリカンは原作同様とてもウエットで内に篭る性質として描かれる。
自分と似た性質を感じてしまって、バリカンが新次と戦うためにジムを離れる決意をして別れの手紙を泣きながら書く場面には私も涙が止まらなかった。
バリカンと同じ立場に、あのような息苦しいような友情に出会ったなら同じ方法を選ぶだろうな、と思ってしまったからだ。
相手を睨みつけることも出来ないのに。憎むことも出来ないのに、拳で殴り合うことを選ぶだろうと思った。

寺山修司はこの小説を即興で書いたと語っている。新宿というなにもかも呑み込む都市のありようを寺山修司が愛してやまなかったボクシングと競馬になぞらえて。
拳に込めたのは愛であって、到底憎しみではなかった。拳を使って愛し合う男同士の物語を詩のように夢のように描いている。

映画もまた、それは同じで私はファンタジー映画を観ているような心持で全編5時間をみた。
女優陣はみな美しく、男よりはるかに強い生命力として描かれる。だが、女はだれもリングには立てないのだ。リングサイドで殴り合う男たちを見ているだけ。
いや、だから私はバリカンに共感的なのかもしれない。私だって殴り合いたい。拳をつかって殴り合いたいと思っているのかもしれない。殴り合って死ぬなんて幸福の極みである。そう言う意味でバリカンの人としての惨めさはきわだつだろう。彼はまんまと欲しいものを手に入れたのだ。

前後編5時間の長丁場。一度もダレなかった。
観る前はもっと打ちひしがれるかと思っていたがみごとな青春映画として成立していた、いっそ清々しいくらいだった。

「あゝ、荒野」イメージビジュアル
(C)2017「あゝ、荒野 フィルムパートナーズ」

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