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変われた自分もあの頃の自分もどちらも在る。(98/100)

※(98/100)=【どんなことも100日続けると世界が変わって見える】のための100日チャレンジ98日目☺

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ここ半年、自分の変化が嬉しくて仕方なかった。


「ちゃんとやらなきゃ」を手放すにつれ
どんどん生きるのが楽になり
本音を伝えられるようになり
本音を聞くことができるようになり
時間に追われず気ままに過ごしてるのに
なんの問題もなく

前は当たり前に聞こえてた自分を否定する自分の声
その正体がわかり
その声も薄まっていくにつれ
何があってもなくても
満たされて生きれるようになり

自分に優しい意識で自分と仲良くなりつつある

望みは当たり前に叶うと思え
その一歩一歩を楽しみ味わっているし
叶わなくても構わないでいられる気楽さがある


結果・・・

「んもー、最高かよ!!」
が最近の口癖で・・・🤣✋


でも、いちいち、「変われた自分」について言及するたび、
なんだろうか
キャンパス一面、黄色いパステルでふわーっと塗られたキラキラしたところに
墨がもわっとにじんだような
そんな感覚があることも
いつも感じてた


それがなんだかわかったよ。


~喜びの裏側に影をひそめてたたずむ、過去の自分の存在~


変われたことがそんなに嬉しいなら・・・
あのときの自分はダメだったの?
あれは葬られるべき自分なの?

言葉にしたら、そんな感じだろうか。


一生懸命だったじゃない
あのときはあのときで
「こうあるべき」「こうしなきゃ」のために
ただまっすぐに

そうだよね。

あのとき
限界までその生き方をやり尽くすことができて
その感覚を味わえていた
疑うことがなかったから
しんどくても進めた

そして、ちゃんと「もういやだ!やめる!」て思えるところにきたから、そう決めることができた。

そして今、あのときの感覚もちゃんと自分の中にあるから
今の感覚との違いがわかるんだよね。


そう思ったら
あのときの自分にだって感謝しかない。


・・・
というところまできて、はたと気づいた。


変わったんじゃなくて、どっちの自分も、実は自分の中にずっとあったのでは?
ただただ、片方の自分にしかなれないって決めつけがあって(それとか、私ってこういう人というラベル付けがあって)、もう片方の自分にフォーカスかけてなかっただけなのでは?

ちゃんとしなきゃ、と力む自分も
どうでもいっか、と緩む自分も
どっちも本当はそもそもいて

きっと、「ちゃんとしなきゃ」のおかげでエネルギー湧いてた部分もあるはず。なのに、「ちゃんとしなきゃ」のせいで”辛かった”という方の記憶にばかり引っ張られて、なんだか24時間365日そんな生き方してたみたいな風に思えちゃってるだけで・・・きっと思い出せば、緩んでる自分だっていたんじゃない?


ほぉ!
そりゃーそうだよなぁ🤣✋
緩んでる時間が一切なかったとしたら、ここまで無事健康に生きてこれてないっしょ?


やたらと
「私は変われた!変わったのだ~!」
と声高らかに吹聴してる自分に違和感があったのは
そーいうことか🤣


ただただフォーカス変えただけじゃん!


そしてむしろ
「私はこんな風に変われました✨」に
今度は逆に縛られてもないかい???
ラベルを、別のラベルに張り替えただけで、結局は「私はこういう人です」っていうラベルまた自分につけてるってことじゃないの??


それこそ、ジャッジメント。
こっちはOK、こっちはNG、みたいな。

それもう、要らなくない?🤣


いつだって、どんな自分だって、
瞬間瞬間、好きな方選べばいいじゃん✨
それがほんとの自由な感覚ってやつじゃない??


ていうか
もう、選ぶとか選ばないとか
そんな行動レベルじゃーなくってさ。

瞬間瞬間、いろんな自分が顔出すじゃん。
くっきりはっきり「ちゃんとしてる自分」「緩んでる自分」てわけられるもんでもないし。
だからそれを「あぁ今、私こんな感じなんだー」「こんな自分もいるんだねー」ってなんのジャッジもせず、ただそのままにしておけばいいんじゃないの?

それを「こんな自分じゃだめ」「隠さなきゃ」みたいにやるからめんどくさいんじゃん。

どんな自分も自分の中にいる。
だけど、あまり見たくない自分って、認めたくなかったり。


でもでも、いるのよね(笑)


「なんか嫌な感じ、あの人のあぁいうところがキライ、目に付く」
っていうときって、実は自分のなかにも同じようなところがあるのに
そこを否定してたり隠してたりするんだよね
だから、気になる。


最近気づいたのはね、不愛想で口がへの字口の人(身内)が妙に気になって仕方なかった自分。なんでこんなに気になるのだろう、と前にセッション受けた時は、私がその人を不幸だと決めつけていて、「幸せにしてあげたい・してあげなきゃ」って思ってて(私のせいで不幸になったとまで思ってたから)、だからその人の不幸そうな顔が気になるんだ、と。


でもその人は本当に不幸なのか?と聞かれたら、それは私の思い込みでしかなく・・・。さらに、その人は別に私や誰かに幸せにしてもらわなくても、幸せでいる力があるのだ。


そう思ったら、それでしばらくは気にならなくなってたんだけど・・・

また最近気になり始めたから、なんなんだろう?と思ったら・・・


私は、自分自身が、不愛想で口がへの字口でいることを許してなかったんだよね🤣いや、一人でいる時には、OKだけど、人前でそういう自分を出すことにOK出してなかったっていう。


中学生の時に、【人から嫌われないための10箇条】みたいなのをリングカードに書いたことがあって。そこに『いつも笑顔でいること』て🤣

さらにはそこからダンスも習ってたから、たとえばパフォーマンスするときに、ハードなダンスでも笑顔で踊る、ていう技術まで身についてて。


それがずっと習慣になってて。人に逢うと笑顔になっちゃうのは、嬉しいのはもちろんだけど、自動反応でもあったのよね。それで最近「人前で真顔でいる練習しよう」って本気で思ってたんだった🤣


だけど、そんな自分もいるよねってただ認めちゃえばいいって思った。

人前で愛想よくふるまえない自分も、ただただ許可💞


ついまだ「別に機嫌悪いわけじゃないのよ~」って言い訳したくなるんだけど🤣

きっと、そのうち慣れるから大丈夫だ✋





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