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「祈り」のスイッチが入った人は無敵。日本人が忘れた感覚

備忘録のような独り言。ちょっとスピった話を。

この数年は毎年ありがたいことに、年間占いの記事に携わっている。話を聞くのは占星術や統計学の占いの方ではなく、上にいる方と話をするヒーラーの方で、カードも使いつつその方のメッセージを伺ってまとめる。
そして文章にしようとする時は、私の祈りも込められる。というより、やはり「気持ち」や「込め方」は大事で、大切なことは、皆のためのメッセージは純粋な気持ちで向き合わないといかんなと思わせてくれる。

そして不特定多数の人々を想いながら向き合いながら、去年その方が言ってたコトバを思い出した。
「日本人には凄い力がある。日本人がone for all, all for oneになると強い。日本人の祈りの力は強い」そんなようなこと。

日本人という括りは聞こえ方によっては偏るので気をつけたいけど、ちょっとそうゆうスイッチに入っていた。
特定の神様ではないアニミズム的な祈り、自我を越えて、あらゆるネガティブな感覚からの解放。日本はやっぱり祭りとか自然との共生があって、そうゆう感覚を維持する環境があったんだろうな。

3.11の震災で避難した人が、混乱と大変な状況にありながらも「ユートピアみたいだった」と語ったのを何かで聞いたことがある。避難所暮らしを強いられた初期はみんなが助け合って一体感を感じられたから。まさにone for all。
いつしか、(明治以降か戦後か)西洋的価値観の「個」「資本主義」がやってきて、そんなユートピアを感じる機会が減った、と。

何がいいたかったのか忘れてしまいそうだけど、日本人からこの祈り的要素をとると、元々情緒に長けた繊細な人たちは根腐れしてしまうのではないかな。
この祈り的要素の最たる存在が天皇で、空洞になった容器の核を満たしてるのは天皇家の祈りだ、というような事を小説で表現したのは赤坂真理さんだけど、そのメッセージは感覚値で分かるなと思った。

とにかく、日本は衰退してるように見えるしデジタルで育った若者は全体的に覇気がないけど、この自我を越えた「祈り的」なツボが刺激されればまだ日本は捨てたもんじゃない。振り切れた人は無敵。
そこに行きつくまでは夜中の笹子トンネルをひとりで歩くくらいシビレル暗黒を経験しなきゃならないかもしれないけど。

ワタシはもちろん周りにはチベットに惹かれる人が多いわけだけど、祈るために生きているような彼らに魂を揺さぶられる人も多いんだろうな。

そのうち消すかもしれないけど、そんなことを思った、ハイになった夜。酔っ払いみたいだな。

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