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没後20年、遅すぎた「鷺沢萌」との出会い

今年は良い本との出会いに恵まれている。そんなに頻繁に読んでいるわけではないけど、私は自分の手帳に読書日記だけはつけている。つい最近読み終えた作家、鷺沢萠(さぎさわ めぐむ)との出会いに、遅いよ! 出会うのが遅すぎた、という気持ちを少し吐き出しておこうと思う。

写真にある小説を知ったのは、春からとっていた大学での講義の中で紹介された時。科目等履修生度を利用して、ピチピチの大学1年生に囲まれながら、興味の対象科目「文化人類学」を履修していた。どんなものかな、程度の軽い気持ちだったけど、担当のA先生がものすごく素敵で、ヒューマニティとインテリジェンスを兼ね備えた大人はこうも素敵なのか、と惚れ惚れしていた。

シラバスの最後の方のトピック、「アイデンティティ 」についての資料として、先生はこの鷺沢さんの『私の話』(河出書房)のある部分について紹介した。
鷺沢さんは祖母が在日韓国人で、作家になった後にそれを知って、韓国に留学までして韓国語を学んだという経緯があるらしい。他の作品はまだ読んでいないが、それは彼女の中ではとても大事なことだったことが伺える。

私にとっての韓国人は親戚のような存在

私自身は今年になって、遅ばせながら初めて韓国に行った。K-POPとか韓ドラは全然おえてないが、仕事で少し絡みがあったのだ。
韓国と日本の関係や、在日朝鮮人の存在について知ったのは本当に遅かった。大阪出身の子に聞くと、“在日”の存在は身近だったというが、東京多摩育ちの私は子供時代に知る環境もなく、ひと言でいうと全くの無知だった。

韓国へ行ったのはついこないだだけど、私にとってコリアンとの出会いは旅先だった。初めて海外・インドに行った時、当時はネットで予約するなんて文化はなかったので、ダラムサラという山あいの町に着いて、めぼしい宿に行ったら、部屋の空きは1つだけ。そして受付にはバックパッカーの韓国女性が一人。

受付のチベット人のおばちゃんに、「ひと部屋をシェアすればいいじゃない、日本人と韓国人は友達でしょう」と諭され、一晩女性と泊まった。これが初めての韓国人との出会いだった。この時は英語ができないのでまともに話もできなかったが、その後も旅先で、韓国人と聞けば一緒にご飯を行く、なんというか極東の故郷を離れた地で出逢えば、互いを親戚のように感じる親近感を持っていた。ロンドンでも日本人ハウス(外国人オーナーが日本人を対象としたシェア型の家)に住んでいたけど、やはり韓国人はOKだった。外では同族・同類だと普通に思っていた(いる)。
それでも歴史的なことを知らなかったから(今思えばこの無知は罪深いが)、日本で「ヘイト」が流行った時もいまいちピンときてなかった。

出会うタイミングも、本も間違った。早く出会うべきだった

講義の先生の紹介によって、初めて彼女の存在を知り、ひとまず図書館で『私の話』を借りてみた。しばらく本を開けず、一度延長してまた返却の期限が近づいた時にようやく読んでみた。
結局これは、手元に置いて期限を気にせず読むべき本だと思って文庫版を買ったが、ハードカバーの表紙は家族の照明写真だった。

雨の日の山小屋、喫茶室で読み終えた。

この本を読み始めて、なんというか、これまで定まっていなかったピントが合った気がした。そして、自分自身に対する洞察や、ごまかしのきかない感じ、沼の底に足をつけて自分の足で立っているような感じ、とにかくこの人、同じ匂いがすると思った。自分に。
優れた作家と自分が似ている、ということではなくて、同じ類の人間な気がすると思ったのだ。そして、ちょっと危うさを感じるとこも自分で似ていると感じた。

人物についてみてみると、1968年(今年56歳になる歳)生まれの鷺沢さんは2004年4月に他界している、35歳で。大学生で作家デビューし、早くに結婚・離婚をして、自分の生い立ちに関わる小説も世に出し、やることなすこと早いよ(私の人生と大違いだ)、と言いたいが、私の言い分は遅い、遅すぎる。出会ったのが。私よりずっと年上だったのに、私が出会った時は私はもう鷺沢さんの歳を通りすぎている。20年のギャップが寂しい。

この『私の本』は彼女の自伝的な本で、正直小説というよりもエッセイに近いと思う。父親のことや、自分のルーツに関わる作品を読んだ後に、この本を読みたかった。
内容は1992,1997,2002年と5年ごとの鷺沢さんの当時の状況や考えていたことが書かれている。ネタバレ承知で書くと、2002年篇では、祖母のことを書いて世に出してしまったことを自分でも不味かったと思っていたところ、生前の祖母からの最後の言葉として「もうよしとくれね」と言われ、一生ものの罪悪感だと受け止めている。1992年、彼女が離婚した頃から彼女は「機嫌が悪かった」が、私と事情はまったく異なれど、彼女の心の暗い部分と自分の深海のような闇も重なるものがあった。

自殺の原因はなんだったのかわからないが、一説によると、強迫性障害を患っていたという。当時の関係者には信じられなかったかもしれないけど、前日笑顔で過ごしていた人が翌日には自殺していた、なんて私から言わせると全く驚くこともない。人間の心は重層的になっていて、深い闇の重たい部分は日常で他者と繋がる表面的な上層部とは別にあるのだから。

20年経って、当時の彼女を1ミクロも知らない私に、彼女の喪失を悲しむ思い出もエピソードもないけど、願わくばもっと早くに出会いたかったし、仕事も人生も一度フェードアウトするなりしてでも生きてて欲しかった。生きてる鷺沢さんが若かりし頃に書いた本として読みたかった。うん、でも辛かったんでしょうね。追悼の意を表すために、彼女の作品を読もうと思います。

それにしても私より10ほども若い仲良しの友達が、「実は鷺沢さんが一番くらい好きな作家だ」と教えてくれた。高校の国語の教科書に載っていたと。若い頃に勉強してないと、こうゆうもったいないことになるんだなぁ。

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