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5歳児の正義、ぼくはママの味方

子どもをナメちゃいけない。
子どもは子どもなりに、ちゃんと見ているし感じている。

子どもはまだ小さくて、身体能力も未熟で、もちろん守るべき存在であることは確か。

けれどそんな子どもを見ていると、時々、中身が長老なんじゃないかと思うようなこともある。

きっと、我が家だけではなく、子育て中の親御さんは同じように感じることがあるのでは?と思う。


息子が5歳の時だ。
夫の徹夜続きで、夫婦喧嘩が勃発したことがあった。

普段子どもの前では、絶対に喧嘩をしないルールがあったけれど、その時は、お互いイライラしていたのだと思う。声を荒げて言い合いになってしまった。

初めての荒々しい雰囲気に、きっと息子はびっくりしたのだろう。
しばらく背中を向けて黙ってひとり遊びをしていたが、動作が止まっているようだった。

家にいても、寝てばかりいる父親に「お仕事が大変だから優しくしてあげてね」と伝えていた私。事実、徹夜続きは大変だ。だからと言って、子どもとのふれあいを意識的に設けなければ、いつまでたっても親子の信頼関係なんて築けない。
ほんの少しでもいいから、寄り添ってくれれば。

そんな苛立ちが、言葉となって攻撃していたのだろう。

息子が、私たちを割って入ってきた。
そして、父親に向かってこう言い放った。

「パパがママを怒ったら、僕はグーの手で50回パパを殴るからなっ!」


目が点になった私。
押し黙った夫。

もう何も言えなかった。

この子が普段から積極的に行動する子どもなら不思議はなかったと思う。
でも、無口で、幼稚園バスでお別れするだけでも泣いてしまうような、可愛い、優しいタイプの長子が、はっきりと、強い口調で、自分よりもずっとずっと強そうな父親に向かって正義を振りかざしたのは、とても勇気がいることだったと思う。

恐れさえ忘れてしまうほど、息子にとって、私を責めることが許せなかったのだろう。その姿は、子どもというより、父親の親のようだった。

息子は以前、「パパに呼ばれて生まれてきた」と言っていた。
だから、本当はパパの味方なのだ。

「パパの優しさを思い出して」と伝えたかったのかもしれない。

「ぼくはママの味方だからね」いつもの優しい息子が言う。
パパの代わりに私に優しくしてくれているのだろうか。
どっちが大人なのかわからない。ありがたくて涙が出る。

何事もなく、ひとり遊びを始めた息子。
私はその後ろ姿が今でも大好きだ。


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