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幸福度・QOLと「自由」の関係について

社会学では、「自由」を次の2つに分けて説明する。「~からの自由」と「~への自由」である。幸福度やQOLについて、また、その裏返しの、孤立・虐待・いじめ等の社会問題について考える際には、避けて通れないのがこの「自由」についてではないかと思う。高い幸福度、QOLを享受するに至るための必要条件のひとつが「自由」であると考えている。反対に、この「自由」を様々な形で奪われている状態が、孤立・虐待・いじめ等の本質にあるのではないか。関連して、人の「自由」をあの手この手で奪う行為を「ハラスメント」と捉えることもできる。

下図は、故見田宗介先生の論考等を参考にして、2種類の自由とその反対の不自由の概念を整理したものである。

まず、「~からの自由」については、何かに物理的、身体的に拘束されている状態、あるいは、何かに違反、反抗すれば、いつでも拘束されうる状態からの自由と考えることができる。その反対概念は、拘束的不自由ということになる。そうすると、この自由は、外的拘束に関係するものと言えるかと思う。

続いて、「~への自由」は、何を目指すか、何を信じるかなどについて、何にも強要されず自由であるという状態と考えることができる。その反対概念は、何らかの理念、規範、権威等を強要されている状態ということになる。ここで、何らかの理念、規範、権威等については、例えば、家業を継がなければいけない、お金を稼がないと生きていけないというような社会規範が含まれる。そうすると、この自由は、内面的な指向性に、より関係するものと言える。

自由と不自由 分類マトリックス


ただし、この自由の概念は、自由であればあるほど、幸福度、QOLが上がる(正の相関関係)という単純なものではない。例えば、社会学では、「自由からの逃走」という現象が報告されている。ある状態に置かれた人たちは、自由を恐れ、権威、権力をむしろ必要として、積極的に自由を放棄するのである。ここで、自由が幸福度に結び付くのは、例えば、積極的に自ら目的を自由に設定し、その実現に向けて活動するといったステージにいる人が典型だ。反対に、生理的欲求が満たされていない人は、高尚な自由を求めて自己実現に突き進むというよりは、食べるものを求めて一時的には人が嫌がることでも買って出るのかもしれない。

このように自由と幸福度、QOLの関係は単純ではない。ただ、自由度が低いことと幸福度が低いことには、強い相関があるように思える。継続的に自らの自由を奪われるようなハラスメントを受けている場合、その人の幸福度は低いだろうからである。

そこで、現時点では仮説としてではあるが、幸福度が低い人ほど客観的な自由度が低い、中程度の幸福度の人とその自由度は無関係(無相関)、幸福度が高い人の自由度は高い、という感じで、考えている。条件付きの相関関係があるという見方だ。

今後、考察、実践を進める中で、この自由と幸福度、QOLの関係性について、さらに深めながら確認していきたい。

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