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単調さが苦手だからこそ、きっと色彩豊かな世界を生きていける。

決まった日・同じ時間・同じ場所で、同じような事をすることが、本当に苦手だ。幼いころから。

そんな自分との付き合い方がいまいちつかめずに来たけれど…自分のペースというものをじっくり理解して、極めてみるのもいいのかもしれない。


例えば、毎日同じ形式でSNSに投稿しよう!と思っても、難しい。できなかった時に、「できなかった…」と思ってしまうし。できたとしても「ふ~…」ってなる。

平日に毎日同じオフィスに出勤して、同じようなことを同じ時間やるのも苦手だ。飽きてしまうし、疲れてしまうし、逃げ出したくなる。


でも、好きなものは長く好きでいられる。

過去にすごくすごく好きだったものは、多少薄れても、思い出して手に取ればやっぱり好きだし、一途な部分もある。人間関係も深くつながれば、長く大事にし合うことができる。

1つ1つは特別好きでなくても、組み合わせれば嫌にならずにできたりもする。大学受験の時を思い出すと、一つの教科に飽きたら他の教科やって、また飽きたら別の教科をやって…とちょこちょこ回していくのが好きだった。


ずーっと同じことをしていると、(それが好きなことでないなら尚更)心が動かなくなって、感覚を忘れて、機械のようになっていく気がする。

ある程度は”慣れ”があることで、安心してリズムよく物事が進んでいくけれど…行き過ぎると、新鮮さも、ときめきも、大切なものを大切にしたいという気持ちも、色味を失っていく。


そうか…『自分って飽きっぽくてドライだな、冷たいな』と思うこともあったけれど、こう捉えることもできる。

できるだけ新鮮さを感じて、ときめきを感じて、自分が大事にしたいものたちを心から大事にし続けながら、豊かな色彩のある生活をしたい。

ということじゃないかな。


今まで我慢して単調に感じる生活を送っていたから、非日常を求める気持ちが強かったように思う。仕事から帰ってきたら、たくさんたくさんアニメやドラマを見て非日常成分を摂取していたし、休日に予定を詰め込むこともあった…。

そんな生活に疲れながらも、サイクルから抜け出せなかった。単調さに我慢していると反動がおきてくるのだと思う。


つまり、非日常を求めているようで、非日常でいっぱいな生活がしたいというわけじゃない。(そういうものに触れるのも好きだけれど。)

日常を非日常のように過ごしたい。特別さを失わず、日々の小さなことに感動しながら、なんて素敵な世界を生きられているんだろうと思っていたい。日常を楽しめるなんて、きっとこの上ない贅沢だ。この上ない平和だ。こんなに色彩豊かな世界なんだと、自分で気づきながら、より彩っていきたい。

日々をマイペースに慈しみながら過ごしている人のSNSを見るのが好きだったのは、そういうわけだ。


このベースで考えていけば、どうやって過ごすと心地よいか、仕事や家庭、人間関係をどうしていきたいか、出てきそうな感じがする。

私にとっての自由は、”いつでも心を動かす選択を取れる”ということだったんだね。



hiromi.


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