ショートショート:ブラックタキシード
人間の価値観は、育った環境によって大きく変わる。
逆を言えば、環境が変われば人間の価値観は簡単に変わる。
しかし、人間は自分の慣れ親しんだ環境を簡単に変えようとはしない。
何故なら、そこには拒否感、躊躇、畏怖と言った様々な感情がストッパーとなるからだ。
一方で、そのストッパーを壊し、自分の知らない世界に身を投じる事で、どう変化が起きるのかという興味も併せ持っている。
これは人間の真理である。
「ふーん、真理ねぇ〜」
人間の真理。
タイトルを見て何となく手に取った。
内容は題名の通り、人間の真理のついて説いた本だった。
読んでみると何となく納得する部分もあるが、逆に当たり前だろうと思う部分も多々あった。
「あ、やばい!」
時計をみると、時刻は20時を回っていた。
今日は20時半から高校時代の友人と飲む予定が入っている。
しかし、予約の店までは家から電車で30分かかる。
つまり、確実に間に合わない。
「はぁはぁ、ごめん!遅れた!」
「も〜遅いよ〜」
「おいおい主役が遅刻か〜?」
「飲み代、大介の奢りな?」
15分遅れで到着した僕に、友人達が文句を言う。
僕の名前は坂本大介。25歳の銀行マンだ。
他のメンバーは高校時代、仲の良かったクラスメイトの3人。
1人目は橋本進。ガタイのいい進は、大工として働いている。
2人目は大塚隆文。学年1のエリートで、今は大手製薬会社で勤務している。
3人目は新井鈴香。昔から鈴の愛称で人気のあった鈴香は、アパレル業界に就いたらしい。
「じゃ、大介の結婚を祝って、カンパーイ!」
進の音頭で飲み会は始まった。
「くぅ〜美味ぇ!やっぱ親友の結婚祝いで飲む酒は格別だな!」
「進はただ酒が好きなだけでしょ」
「それは否めんな」
「おいおい、大介の結婚祝いがメインだろ。あんまり初めから飛ばすなよ。」
「いやいや、僕の為に集まってくれて嬉しいよ。久々に会ったけど、皆んな大人になったよな」
「そりゃーな、7年も経てば色々変わるわ。特に鈴、お前はいい女になったよな〜」
「変な目でこっち見るな変態!」
「俺もそう思う」
「隆文まで?!てかそんな事言うキャラだったけ?!もー助けてよ大介〜」
「いや、でも本当に綺麗になったと思うよ」
「まぁ、大介がそう言うならいいけど」
「でた!大介だけ特別扱い!そういや鈴、昔大介の事好きだったもんなぁ」
「それ今言うこと?!」
進と鈴香の会話に僕は驚いた。
「え、そうだったの?」
「気づいてなかったのか?周りでは結構有名だったぞ」と隆文。
「うん」
意外だった。
高校生の頃、いや、今もだが、僕はどちらかと言うと物静かな方だ。
対照的に、鈴香は明るく、派手なキャラクターが印象的な子だった。
性格的には正反対の彼女が、僕のことを好きだったとは。
「そ、ん、な、こ、と、よ、り!今日は大介の話を聞きに集まったんでしょ!」
「おう、そうだったな」
「どんな子?名前は?」と隆文が聞いてくる。
「名前は晴美。すごくピュアな子だよ。僕もだけど、向こうも初めての恋人らしいんだ。だから、何をしても、何度も行った事がある場所に行っても、まるで初めてみたいに感じるよ。」
「うーっわ。めっちゃいいじゃん。何それ、アオハルかよ」
「アオハル超えてもう結婚すんだよ。そう言う鈴は今彼氏いねーの?」
「2ヶ月前に別れたっきり。今は彼氏より色んな人と遊びたいなーって感じ」
「美人は余裕があって羨ましい事だな。隆文は?」
「いるよ。今付き合って2年」
「は?!」
「え!隆文って彼女いるの?!しかももう2年?!」真剣な顔で鈴香が詰め寄る。
「うん、まぁ」
「うん、まぁって、あのクラス1堅物だったあんたと付き合うなんてどんな子なの?!」
「失礼な。俺だって彼女くらいできるさ。相手は勤め先の先輩だよ」
「へぇ、良かったな隆文」これは僕。
「あぁ、結婚も視野に入れてるよ。そういえば大介はいつ式を挙げるんだ?」
「11月だから3ヶ月後だな。皆んなにも招待状を送っておくよ」
「なんだよ〜お前らばっか幸せそうな顔しやがって〜」
「ほんっと!進、飲むわよ!」
「ほいきた!」
その後も飲み会は続き、気づけば時間は23時を過ぎていた。
「そろそろお開きにするか」
「そうだね、今日は本当にありがとう。嬉しかったよ」
「当たり前だろ。親友なんだから」
「何だか照れ臭いな」
「後は、この2人を何とかしないとな」
「そ、そうだね」
あの後、凄まじい勢いで飲み始めた進と鈴香はあっという間に酔い潰れ、いつの間にか2人して眠っていた。
「俺は進をタクシーに乗っけていく。鈴香は大介が帰る途中の駅だったろ?任せていいか?」
「うん、大丈夫だよ」
そうして2人を担いで退店した僕らは、簡単に別れの言葉を交わし、反対方向へ歩き始めた。
空を見上げると月が明るい。
まるで月まで僕の入籍を祝ってくれているようだった。
「う〜ん、大介〜」
酔った鈴香が僕にもたれかかったままうめいている。
「鈴、大丈夫?水飲む?」
「好き」
突然だった。
「え?」
「好きって言ったの」
「いや、でも僕には」
晴美がいるから。
そう言いかけて言葉が詰まった。
酒が入っているせいか、鈴香の長いまつ毛に、紅色に染まった頬に、艶やかな唇に、心臓が激しく波打つのを感じた。
夜風に吹かれた鈴香の長い髪からは、石鹸のような香りが漂った。
「分かってる。ダメだって事。でもさ、好きなんだから仕方ないじゃん。だから、行こ?ね?」
潤む瞳で僕を見つめる鈴香に、抵抗する術を僕は持っていなかった。
いや、抵抗しようとしなかったのかもしれない。
僕は今まで、清廉潔白な人間として生きてきた。
周りの友人から浮気をしたという話を聞いても、僕には無縁だと流して聞いていた。
しかし、自分が浮気する姿を想像した事がないかと言うと、そうではない。
とすると、無意識下で浮気に興味を持っていたのかもしれない。
こうして僕は、鈴香と一夜の過ちを犯した。
翌朝。
「おはよう」
寝そべったままの鈴香が僕に言う。
「おはよう」
僕も返す。
白い毛布に包まれ、僕を見つめる鈴香の表情は、どこか寂しそうに見えた。
期待していた何かに裏切られたかのようなその瞳は、純白の僕に一粒の黒い涙をこぼした。
「私達、悪いことしちゃったね」
「うん」
「絶対、秘密にしようね」
「うん」
こうして僕らは互いの帰路に着いた。
3ヶ月後。
「奥様、とてもお綺麗ですよ。是非こちらへ」
扉の向こうから現れたウエディングプランナーが僕に入室を促す。
「へへ、どうかな?」照れて上目遣いの彼女が僕に聞く。
「晴美、綺麗だよ。とても」
「大介の白いタキシード姿もキマってるよ」
「そ、そうかな」
僕も照れて頭をかいた。
しかし、愛する人との結婚式。
やはり身だしなみのチェックは怠れない。
僕は鏡の前に立った。
すると、タキシードの胸あたりに、小さな黒い点がある事に気がついた。
係の人に確認しようとした。
その瞬間だった。
小さな黒い点は、徐々に、徐々に広がってゆき、やがて全身を黒く染めた。
「何だ…これ…」
硬直した僕を見て、晴美が不安そうに声をかけてきた。
「ねぇ、どうしたの?大丈夫?」
「タキシードが、黒いんだ」
「え?どこか汚れてる?綺麗な白にしかみえないけど」
黒く見えているのは僕だけなのか。
だとしたら、何で。
「お2人とも、そろそろお時間です」
ウエディングプランナーに案内されるまま、僕は何色か分からないタキシードを着てレッドカーペットを歩き、登壇した。
晴美は義父と腕を組み、ゆっくりと僕の方へ向かってくる。
誓いの言葉を終えた僕は、恐る恐る彼女のベールをめくった。
ふふっと微笑む彼女に対し、僕の笑顔は歪んでいた。
「それでは、誓いのキスを」
会場は拍手に包まれた。
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