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「私はどうしたいの?」で生きると、力の抜きどころが分かる
「今ここ」にしか、何もありません。
過去にも未来にも何もないし
あの人の行動や言動に、理由も意味も何もありません。
外側には何もないし、ここではないどこかに何もありません。
外側には何もない、あるのは内側だけ。
内側にあるものが外に映し出されている。
自分を我慢させれば、我慢する映像が。
自分に制限を掛ければ、制限の映像が外に映ります。
誰かが制限に我慢している映像かもしれないし
誰かがあなたに「我慢しろ」と言ってくる映像かもしれない。
目に映る映像は全て、自分にどんな考えや想いがあって
それをどう行動しているのか、に過ぎません。
あの人が、誰かが、何かが、と意識を向けていれば
あの人が、誰かが、何かが不毛な外側しか映りません。
自由度が高く、幸福感が強い映像を映したければ
とにかく自分に制限をかけない、我慢をさせない、自由にさせてあげること。
自由というと遊んで暮らす、のようなイメージを持たれがちですが
遊ぶことと共に、好きなことを学ぶことや、その積み重ねのような取り組みも自由です。
私たちは何だって自由です。
その自由をやるか、やらないか、それだけです。
ストイックな人は制限が好き。
やり遂げる、やり抜くというような制限を自分にかけて満足を得たい。
のんびりさんは制限が嫌い。
制限がないことで満足を得たい。
どっちが良い悪いではなく、好みです😙
だから、どちらも押し付けはNG。
ただ、どんな生き方もOKですが
ストイック過ぎても心身のバランスを崩しやすいですし、達成だけで得られるものはそう多くはありません。
のんびりがマイペースではなく「先延ばし癖」だと人生が展開しにくく、それはそれで埋まらない何かが出てきます。形にならないものが多過ぎても人はストレスを感じるのです。
自分が好きなことはストイック、もしくは熱心に没頭する。ゾーンに入る。
そうではないことはそこそこで。
みんながそんなふうに「没頭どころと力の抜きどころ」を思いのままに生きられたら、『それぞれの没頭と抜き』が噛み合うようになっている。
0か100か思考になると、全力で全てを生きるか、全力で何もしないかのような2択しかなくなる場合もあります。
没頭し過ぎも力の抜き過ぎも、人間には結局ストレスなのです。
人生バランスの偏り、それは幸せから遠ざかる生き方だから。
嫌なことにストイックになることはありませんし
やりたいのに我慢や先延ばしすることもありません。
好きなことに熱中すればいいし
やりたくないことは二の次にすればいい。
そうすると「それが叶う現実」にどんどんなっていく。
「望まぬストイックさ」や「望まぬのんびりさ(幸せの先延ばし、自分のやりたいことに向き合うめんどくささ)」はもういらない。
今、ここの私がどう感じているのか。
今、ここの私は何がしたいのか。
今、ここの私はどうしたいと言っているのか。
それは頭で「どうするべきか、何が最善か」と考えなくとも
「没頭どころと力の抜きどころ」がいい塩梅で生きられる生き方です。
みんなが好きに生きましょう。
それぞれが自分らしく生きられる。
それが魂の設定を生きている状態になっています。
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