幸せを見つけられる目は、「何者かの私」ではなく、「ただここに生きている私」にしかない
私たちは「思考」が強い生き方が立派だと教わってきたかもしれません。
どうすればいいか、何をすればいいか、計画的に、無駄をせず、、
そんな生き方は物事が合理的に運び、ある側面から見ればうまくいっているように見えます。
しかしある日、思います。
たくさんのものがあるのに、私には何もない、と。
思考優位な生き方は、たくさんのものがあるのに「ない」と思ってしまいます。いつも何かを探しているからです。「私にはないからなんとかする」がデフォルトになっているからです。
今や豊かな時代。
なんでもありますし、なんでも手に入ります。
しかし、心から幸せを感じながら生きている人はそう多くはないのかもしれません。
何者かになれば、何かが手に入れば、こうなったら幸せになれる。
努力して頑張って生きる、辛いことを乗り越えてこそ未来は安心、それが素晴らしい生き方である。そんな努力信仰を教わってきた地の時代。
しかし幸せはただ「感じる」もの。
過去にも未来にもない、今ここにしかないのです。
「考えて」手に入るものではありません。
何かを得て、そうなれるものでもありません。
今、ここがどんな状況だったとしても、そこにある何かを「感じる」こと。
それが幸せへの近道。
何者になっても、幸せを感じる余白がなければ心はポッカリ空いたまま。
ここに幸せがある、ここにもある、とても小さなものかもしれないけど、こんな恵みが私にはある、嬉しい、ありがたい、、と感じ続けていれば
何者かにならなくても、何かを手に入れなくても、どうにかならなくても
たくさんの恵みに囲まれて、幸せいっぱい満たされて生きられるのです。
仕事や生産性のあること、役に立つこと、合理的なこと、計画性のあることなどは、全て「思考」で行動します。
五感を使って「感じること」は一見、無駄なように見える生産性のないこと。
旅という行動1つにしても
みっちり詰まった計画の中で、計画通りに動くことは思考しか使えていませんが
行き当たりばったりの余白だらけの中で動くことは、楽しい気持ちも恐る恐るの気持ちも、どれも「感じること」が出来ます。
意外とみっちり計画性がある人の方が、怖がりさんだったりします。
失敗したくないから、しっかり決めておきたいのですね。
計画することも時には大切ですが
余白だらけ、五感使いまくりの行き当たりばったり状態こそ宇宙の導きを受けやすい。
自分で計画するよりも遥かに素敵なギフトに出逢えたりします
今、ここが楽しく幸せであれば、その連続である未来は必ず楽しく幸せです。
今日もいっぱい幸せを見つけてみてください。
恵みは、誰しも平等に降り注いでいます。
幸せを見つけられる目は
「何者かの私」にはなく、ただの私にしかありません。
「ここにただ生きている私」として
たくさんの幸せを見つけてみてくださいね😊