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我慢しない=心の痛みを知ってもらうこと〜弱音や愚痴は吐いた方が軽やかな現実になる〜
言いたいことを我慢してしまう方は多いですが
言いたいことを言っても意外と喧嘩にならないし嫌われもしない。傷付けたりもしない。
逆に喧嘩するからこそ分かり合える場合もあるし、愛が深いからこそ嫌いだと強く思うことだってある。そうした経験も魂には必要な場合もあります。
自分の心の痛みをなかったものにしてしまうことを我慢と言います。
我慢癖があると、周りに心の痛みが伝わらず大事にされにくいです。
やりたくない、嫌だということを周りに言っても、タスクが減るわけでもやらなくていいわけでもないからみんな悩むのですが
我慢をしなくていい=全てを投げ出す、ということではなく
=「心の痛みを周りに知ってもらう」ということ。
「嫌なことに対して辛い、悲しい、苦しい、痛みを感じる」と知ってもらうことだけで何かが変わることも大いにあります。
心の痛みに対して否定非難されるなら、それはその場に何か歪みがあるということです。ですから我慢をしないということは決してわがままでも勝手なことでもありません。
地の時代では
「弱音を吐いてはいけない」「弱音を吐いてごめんなさい」と思いがちなところがありますが、弱音こそたくさん伝えて、お互いの「嫌なこと」を理解し、話し合っていくことは大切なこと。
分かり合うというのは
「お互いに嫌なことをさせない」というフェアなことでもあるので
我慢もしなくていいし、弱音吐いてもいいし
「こんなの誰だってやるのが普通でしょ」と言われるようなことでも、そこに感じる心の痛みや負荷があれば「無理です、辛いです、嫌です」と言っていいわけです。
明日は水瓶座下弦の月。
私たちは万能ではありません。
万能ではないのだから、我慢して無理するのではなく、弱音を吐いて心の痛みをシェアして、楽に生きていいのです。
心の痛みも、多くのタスクも心理的現実的負荷も1人で抱えなくていい。
別に直接的に助けてもらわなくてもいいのです。
ただ、弱音や愚痴をポロリとこぼすだけで、十分現実は軽やかになっていきます。
言える人がいないなぁという場合はプロにお願いしたり、一人でぐちってもいいし、わんちゃんネコちゃん、ぬいぐるみに感謝をもって弱音を聞いてもらってもいいんです☺️
しかし何よりも「心の痛みを自分でなかったことにしないこと」が1番、大切なことです。
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