やらない自分を許す、やる自分を許す
私たちはいつも「良いか悪いか」で物事を計ろうとします。
どれもホントは、やっていいし、やらなくてもいい。
やりたいのか、やりたくないのか。
それを今後も人生に置いておきたいのか、手放したいのか。
自分の感覚で決めていいのですね。
私たちは幼い頃から、人や何かの影響を受けて生きています。
近しい誰かが楽しんでやっていたこと、自然にやっていたスタンス。
やってあげたら喜ばれたこと、やめたら元気になったこと。
誰かにダメだと言われたこと、逆に褒められたこと。
何となくの記憶と重ね合わせながら
自分の本当の気持ちではなく、「外側の基準」で物事をジャッジします。
自分が「やりたい」と思っても
それに対して怪訝な顔をされた記憶があれば、やっていいのか迷います。
自分が「やりたくない」と思っても
それに対して鞭を打たれた記憶があれば、やらなくていいのか迷います。
迷うのは、そうする自分を許せないから。
やりたい、でもやっちゃいけないかも。
それをやる自分を許せない。
やりたくない、でもやった方がいいかも。
それをやらない自分を許せない。
私たちはいつも許された存在です。
これまでも許されていたし、これからも許されていきます。
迷惑をかけちゃいけない、ちゃんとしないと困る誰かがいる。
そんな優しい気持ちで、自分の行動ややりたいこと、やりたくないことを許せないでいる方も少なくありません。
しかし、私たちは1つ動くだけで、必ず誰かに迷惑をかけるし、困る誰かもいます。でもそれは「迷惑行為」のことではありません。
自分の行動や決定の影響は、必ず誰かに影響を及ぼします。
誰かが堪えてくれたり、少し無理をしてくれていたり、「どうしようか」と頭を使って悩んでくれていたりします。
自分の想定しない場所で、見えないところで
あなたの事を許してくれています。
それを分かっているから、悩むのですよね。
でも、そこはお互い様です。
それぞれやりたいこと、やりたくないことがあります。
裁き合うのではなく、許し合う。
無理して頑張って苦しみ合うのではなく、許し合って笑い合う。
何かを変えようとするよりも、自分を許すほうが話しは早い。
自分を許せば、波紋のように優しい世界は創造されます。
自分らしく生きる。
それでも応援してくれる人がいる。
愛してくれる人がいる。
そんなありがたい事実はそこら中にあります。
自分の行動や決定を許せば、誰かを許すことが出来ます。
自分の行動や決定を裁くと、誰かを裁きたくなります。
私たちはみな、許された存在です。
そして許されていない人はいません。
自分らしく生きる事を許す。
そうすると「許すことが出来るような相手」しか目の前に現れません。
やらない自分を許してください。
やる自分を許してください。
心のままに生きてください。
どんなあなたも自由なのです。