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くだらないこと・役に立たないことほど自分の役に立つ くだらなさは自分を支えてくれるもの

役に立ちたい気持ちは素敵なもの。

時間を有効に使いたい。
無駄をしたくない、というのも素晴らしい。

だけれど、この世界は生産的なことばかりでは成り立っていません。
そして、生産的なものばかりで「人間の精神衛生」は保てません。


役に立つこと、無駄がないもの、有効活用出来ている状態は、ある意味「安心」です。

自分はダメ人間ではない、ちゃんとしている、周りと足並みを揃え、迷惑をかけてはいない。とても真面目に誠実に生きているのだという証明のようにもなります。

後ろ指もさされにくいとも感じます。

しかし、私たちは人間です。
神でも仏でも聖人君子でもありません。

揺らぎある肉体と精神を持った存在。
黒いところや影なる部分、粘着的で自堕落な部分をも持っている欲深き人間です。

美しい光の部分も持っている。
しかし決して美しいだけの存在ではありません。


そしてとても強い、同時にとても弱い。
だけど強くもない、でも弱くもない。

なんとも不安定な存在なのです。


そんな不安定な存在を健やかに支えてくれるもの。
それは役に立つものでも、有効的で生産的なものではありません。

くだらない、役に立たない、どうでもよさそうなものほど、私たちを強く支えてくれている。


自分に価値があると思えていない時、人は「役に立つ生産的なこと」で自分の価値を証明しようとします。

結果や成果を上げれば、自分の価値が上がるのではないか。
人から認められ、評価を得られたら価値が保たれるのではないか。
正しいことをすれば、間違っていると人から思われないのではないか。

そうしてきっと幸せになる、きっとうまくいくと思って自分に鞭をふるいます。


そうすると元々、揺らぎある肉体と精神は、さらに揺らいできます。
揺らぎある肉体と精神に振り回されるようになってしまいます。

真面目な人ほど脆いものです。
それは「役に立つことや生産的なこと、有効的で合理的なもの」を求め過ぎるから。


よく観察してみて欲しいのですが
なんだか頑丈そうな人、強靭そうな人は「くだらないこと」をたくさんやっています。

絶対役に立たない、何の役に立つの?それをやってあなたは一体、どうしたいの?と思われるようなことを。

くだらないことで自分を安定させているから、頑丈なのです、強靭なのです、細かなことが気にならないのです。


細かなことが気になるのは性格や気質だと思われがちですが
人生全体でそうなっている場合は端的に頑張り過ぎていて、くだらないものを排除しようと潔癖状態になっているからです。

強迫観念で自分を制限し過ぎています。
人生にはくだらないものや無駄があっていい、それらも無駄ではないと許してあげると、不思議なことに細かな部分が気にならなくなってきます。


役に立たない、くだらないことで時間を使ってみる。
お金を使ってみる、くだらなさそうなことをシェア出来る人と付き合ってみる。

くだらないことで楽しめる人は、幸福度が高いのです。

人の役に立っても、何かを得ても、何かを生産しても、得られる幸福感は一時的なもの。外側に依存しているうちは真の幸福は感じられません。


自分が健やかで心地がいい時間をただ生きること。

この辺りに重きを置くと、幸福感を超えた至福感が自然に生まれ、何も探さなくても、何も求めなくても十分な感覚が訪れます。


本当に心地がいいと感じられることとは、くだらなくて何も生み出さないような非生産的なものだったりします。

そういうものほど「自分の役に立っている」のです。

人の役に立つためならば、生産的で有効的で効率の良いものがいい。
でも、自分の役に立つならば、生産的ではない、有効的でもない、くだらなくて何の役にも立たなさそうなものがいい。

どちらかだけを強く勧めているわけではなく
バランス、そしてその割合を、自分の心身に適したものに出来ると
人生はとても健やかで、安定したものになっていくということです。



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石原そら
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