オランダで発見「新しい幸せのカタチ」
効率と非効率の融合の街
秋のはじまりに、私はオランダの街「アムステルダム」に降り立ちました。降り立ったという表現が似合うその街には、不思議な魅力がありました。
ほとんどの駅には駅員がいません。ホームに立ち尽くしていると、少し疎外感を覚えました。すべてがデジタル化され、効率化という名の無機質な秩序に支配された空間。電車に乗って、自分で降りる駅のボタンを押す様子は、どこか未来社会の断片のような気がしました。
けれど、駅の外へ一歩踏み出すと自転車が爽快に走っています。そして、金曜日の 16 時 が訪れると、この街はまるで別の姿を見せました。街のあちこちで人々がビールを片手に笑い声をあげています。レストランの庭、道端のベンチ、どこもかしこも笑顔の人で溢れ返り、その光景は本当に楽しそうでした。
効率を追い求めるデジタルな社会は、この国の人々が環境を思う“温かさ”だったのか、と私は駅にいた頃とは違う目でアムステルダムを見ていました。
フライドポテトの待ち時間
街を歩きながら、フリットと呼ばれるフライドポテトが食べたくて私はお店の前で並びました。3番目だったので、すぐに順番が来るだろうと思っていたのですが、店員たちは笑顔で雑談を始めたり、隣の店に行って何かを買ってきたり。全く急ぐ様子がありません。
仕事に追われ、効率を最優先する毎日を過ごす私。周りに迷惑をかけないようにと働いてきた私の中に、「早く」という焦りや苛立ちが少しずつ湧き始めるのを感じました。ただ、待っている人たちは、とても穏やかで本を読んだり談笑したりしています。
ポテトがようやく私の手元に届いたのは、その間に30分、40分と時が流れ、約70分後。その瞬間の嬉しさと、「今日の私はこんなにもポテトを欲していたのか。オランダの名物の1つを食べてみたい、というどうしようもなく強い好奇心なのか。」いつの間にか、自分を客観視するような気持ちになって笑ってしまいました。
そして、このゆっくりと流れる時間に妙に愛着が湧きました。このスローな生き方の中に、私がずっと忘れてしまった何かがあった気がしました。.
無理をしない代償?
また、こんなこともありました。道に迷ったとき、あるレストランの店主らしきおじさんに私と同じく迷った人たち数名が道を尋ねました。すると彼は突然、大声で怒鳴り始めました。「今、自由時間を楽しんでいるんだ!邪魔をするな!」と英語で叫んで怒ってきました。
後でオランダ人の知り合いに聞いてみると、「オランダ人は、自分の時間をとても大切にするの。無理は絶対にしないのよ。」と言われました。
「彼は毎日色々な観光客に聞かれてうんざりしているのか。感情を素直に表現できるのも立派なことだ。」と考えながらも、「無理をしないことに慣れすぎると、少しの困難すら耐えられなくなるのではないか?」という小さな不安がふと私の頭をよぎりました。
そういえば、起業当初、まるで自分の中の見えない敵と戦うように働き続けていたときには、辛い問題にも屈することなく翌日には乗り越えていた頃の自分を思い出しました。ところが今では、年月と経験を経て、仕事でも幸福に過ごしている時間が長い分、ほんの些細なことでも胸が痛むことがあるのです。
ウェルビーイングとは何だろう
「結局のところ、ウェルビーイングって何だろう。」
ポジティブ心理学の定義とは別にして、こうした一喜一憂を抱えつつも、日々感動しながら穏やかでいられる強さこそがウェルビーイングの本質なのかもしれない、と思いました。
そして、私が降り立った国のウェルビーイングは、持続可能な社会に向けた効率化社会と人間らしい非効率さ、その絶妙なバランスの中にある幸福なのではないか、そう思ったとき、ポテトをつまみながら私は少しだけオランダの風に馴染んだような気がしました。