国際女性デーによせて。
わたしは他の人と比べると、人に対してあまり怒りを覚えないほうだと思っている。でも、どうしても、どうしてもゆるせない人がいる。
それは思春期の頃に、安全を脅かしてきた男の人たちである。
幾度となく10代の頃、嫌な思いをしてきた。わたしはなぜか電車ではなく路上でしばしば痴漢に遭った(電車でも毎日痴漢してくる人もいたけれど。でも電車では誰かが助けてくれた。人気のない路上ではどれだけ声をあげても周りには人はいなかった。)。
勝手に触ってきたあげく「お金欲しくない?」と声をかけてきて、拒絶をしたときに「じゃあ足だけでも触らせて」と図々しくも手を伸ばしてきた人のことは生涯忘れない。その人の顔はもう思い出せないけど、あの日自分が着ていた服と光景は今でも鮮明に思い出せる。12歳の時、わたしに植え付けられた男の人のイメージは一生消えることはない。
他にも忘れたくても忘れられない人がたくさんいる。見ず知らずの女性を欲求の掃き溜めのように扱う男の人たちの多さに、日々辟易していた。
一時期は男の人と喋ることすらできなかった。今思えばPTSDでしかなかった。でも、わたしは年月をかけて回復することができた。すごく苦しかったけれど、もう男の人を見ても怯えることはない。苦しみが深かった分、わたしは逞しくなった。
「(わたしには)敵わんわ」「ほんま根性座ってるよな」と言われることがあるけれど、きっとその根本はこの原体験があるからなんだろうと思う。
おかげで女性だからと弱く見られることはすごく嫌いになってしまった。女性だからとちやほやされることもあまり好きではない。
男性だから、女性だから、この性別だからと区分されることのない社会になっていってほしい。そして誰も自分の性が原因で不当な扱いを受けることのないフラットな環境が当たり前になるといいな。
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わたしはゆるせないという感情がとても苦手だ。憎悪や妬み嫉みが原動力になると、どうしても負の方向に感情が動きやすいから。
それでもこの言葉をここに残しておこうと思った。書き出すこと、ほんとうは怖い。
この偽りのない言葉たちが誰かの「生きる」を後押しできていたならば何よりも嬉しいです。