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新連載「人として生きるということ」〜その1〜ひーろまっつん 松尾浩一 著

 はじめに
  
 私は、これまで、52年と10ヶ月間、生き続けて来たが、私のこれまでの人生においては、紆余曲折な人生を生きてきたと思う。

 つまり、浮き沈みの激しい人生を送ってきた、私が、今になって、人として生きるということについて、真剣に考えた時に、人として生きていくうえで大切にしなければならないことや、自分自身の夢をどのように現実のものとしていくべきか等について、ぜひとも、自分自身で作品を書いてみたいと思い、今回は「人として生きるということ」と題して、私自身の人生観についてを、ぜひ、語ってみようと思い、筆を執った次第である。

 自分自身でも、まだ、この作品がどんな作品になるかはわからないが、私の人生観について、余す所なく、書いていければと、そう思っている。

 この作品が、これまで、私が生きてきた証になれば幸いであるが、皆さんには、ぜひ、楽しみながら読んでもらいたいと、そのように思っている。


§.1 私は、中学校3年生のときから、今日まで、働くということを、ずっと経験してきた。働くということは、自分の働きによってお金を稼ぐということに他ならないと思うが、私は、自分は、働くことと同時に、自分の夢を叶えようと常に、努力してきた経緯があるため、働くことへの思い入れは、とても強かったように思う。

 私は、働くことで、自分の夢を叶えるのではなく、働きながら、自分の夢を叶えるために、もう一つのことをずっとやり続けてきたということであるが、それは、働くのは、お金を稼ぐことであると言う認識をきちんと持ったうえで、もう一つの何かで、自分自身の夢を叶える活動を行ってきたため、働くことと、夢を叶えることとは、私の場合は、きちんと区別して、行動してきたということである。

 私自身は、働くということは、お金を稼ぐことであり、それ以上、働くことに関して、自分からは、何も求めては、いなかかったということになるのかもしれない。

 だから、私は、特段、仕事で出世したいとかは、ほとんど、思わなかったのかもしれないが、常に、自分自身のできること、つまり、仕事上のスキルについては、多くのことを、たくさん身に着けていきたいとそう思っていたことは確かだった。

 それは、なぜならば、仕事上での出世というのは、私自身で決めることではないと、私は、最初からそう思っていたからだと思う。

 このように書くと、誤解を招く恐れがあるために、付け加えておくが、私は、仕事で、お金を稼ぐために、たくさんの努力もしてきたし、資格などの取得や、仕事でのスキルアップも図ってきた。なぜならば、仕事というのは、自分にとっては、生活の一部だったからである。

 しかし、私は、仕事においては、必要以上の欲を出すことが、自分自身を破滅させる素であると、そういう考え方をする傾向が、昔からあったため、私自身が望む生活に必要な金額の給料がきちんともらえれば、それだけでよかったのである。

 しかし、その私の考え方は、公務員として、働いていた自分だからこそ、できた考え方であったことに気づいたのは、公務員を辞めてから、だいぶ経った後だったように思う。

 私は、教育職公務員として、高校卒業後すぐに就職して。13年間ほど、県立学校に勤務したあと、教職を辞して、一番社会に出たのであるが、一般社会においては、常に、競争の連続であり、その様な、悠長な考え方をしていたのでは、自分自身の身が持たないことを、はっきりと、思い知らされたためである。

 一般社会は、言ってみれば、弱肉強食の世界であると、私自身には、そう思うことしかできなかったためであるが、一般社会においては、弱い者は、淘汰される運命であることを知った私は、自分自身が、体力的にもメンタル的にも強くなることで、自分の身は自分自身で守る必要があることを悟ったわけである。

 特に、今の若者は、労働組合というものを軽視する風潮があるが、個人が、会社と対等な立場に立つためには、労働組合というものが、いかに大切かを、全く知らない人間が、実際に、労働組合を軽視する傾向があるのであると、そのことについて、きちんと気づくことができなければ、今の若者が、大成すること自体が、非常に難しいと言わざるを得ないであろうと、私は思うのである。

 なぜならば、個人の労働者にとっては、労働組合ほど、強い味方はないと、私は身を持って経験しているからであるが、その理由は、個人が、会社側から理不尽な対応を迫られたり、強いられた時に、一番の味方になってくれるのは、共に戦ってくれる労働組合しかないからなのである。 

 つまり、労働組合に加入することとは、労働者個人が、会社側と対等な立場に立つための行為であり、会社側から理不尽な行為を受けた場合に、共に戦ってくれる仲間を得るために必要不可欠なことなのである。

 今の多くの若者は、そのようなことも、よく、判りもせずに、労働組合を簡単に軽視することが、よく、できるものであると私は思うのである。

 おそらく、今の多くの若者は、会社側から、目の上のタンコブ的な存在に見られたくないから、労働組合を軽視しているのであろうが、その考え方自体が、事実として、間違っていることに、 いち早く、気づかなければならないのである。

 それはなぜならば、個人と、会社という組織では、個人の方が、明らかにずっと弱い立場であることは、明白な事実であるためだ。

 もしも、会社側から、理不尽なことを個人としての自分がされた場合に、会社組織と争ったとしても、個人としての自分には、一切、勝ち目はないからだ。

 そういったところで、労働組合の存在というものが、非常に大切なものであるということが、一個人の自分として、きちんと理解できるようにならなければ、個人として大成することは、非常に難しいことであると、きちんと、自分自身で気づくことができなければ、誰からも助けてはもらえないのが、世の中の条理であるのだから…。 



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