「経済力学」松尾浩一著 その13
お金の流れである経済は、お金自体が持つエネルギーによって、経済成長するのである。つまり、お金自体がエネルギーを持たなければ、お金の流れである経済は、全く、成長するはずがないのだ。つまり、お金自体にエネルギーを持たせ、経済成長を促すためには、プラスの値の金利を、国の中央銀行が、きちんと、設定し、お金自体にプラスの価値というエネルギーを、きちんと、持たせることが、必要不可欠なのである。
この30余年間、日本経済が、全く成長せず、マイナス成長にまで陥った理由は、日銀が、ゼロ金利政策を、約20年間にわたって継続してきたこと、その後、マイナス金利政策を、10年間以上にわたり継続してきたことにあるのだ。
つまり、お金自体に、経済を成長させるためのエネルギーを持たせるためには、プラスの値の金利によって、お金自体に、きちんと、価値という、エネルギーを持たせなければならないのである。
そして、日銀が、異次元の金融緩和策を実行し、世の中に出回るお金を、異次元的に増やしたが、全く日本経済が成長しないまま、逆に、日本経済が、マイナス成長にまで陥った理由は、お金自体に価値というエネルギーを持たせず、お金自体の価値を、逆に、マイナスに設定し、それを継続実行してきたことが、一番大きな理由なのである。
なぜならば、日銀が、これまで行い続けてきた、ゼロ金利政策、および、マイナス金利政策というのは、お金自体に増えるという仕事をするエネルギーを持たせるのではなく、その逆で、ゼロ金利では、お金自体のエネルギーを無にして、お金自体に、仕事を全くさせないこと、および、マイナス金利においては、お金自体に、減るという仕事をする、マイナスのエネルギーを持たせることに、他ならない行為だからだ。
つまり、その結果、日本経済は、人為的に、わざと、経済成長できないようにされ、そして、人為的に、わざと、マイナス成長にまで、陥れられてきたのである。
そして、その結果、多くの日本国民の貧困化という形で、日銀のこれまでの犯罪的な金融政策の結果が、現れたというのが、実際の事実なのである。
なぜならば、金利をマイナスに設定すれば、お金自体の価値が、マイナスになり、その結果、お金は、マイナスの仕事しかできないのであるから、お金が、国民の懐から、どんどん減っていくのは、当たり前であろう。
つまり、多くの日本国民の貧困化の原因を、日銀の金融政策自体が、作り続けてきたことは、明白な事実であり、この事実は、日銀の国家的金融犯罪に該当すると、明らかに言っていい事実なのである。
そして、日銀の大罪は、それだけではない。
日銀は、異次元緩和策によって、日本円の信用的価値を大きく盗み、その分の、莫大な金額の新規円通貨を発行して、その全額を、既発国債、株式ETF、J-REIT等の購入に充て、そして、その莫大な金額の全てを、日銀の資産として、横領着服してしまったのであるから、その事実も、多くの日本国民が、貧困化に陥った、大きな原因になったのである。
つまり、この事実は、日銀が、日本円のお金自体の信用的価値をも、大きく盗み、国民の財産権を、人為的に、大きく侵害した、紛れもない、国家的金融犯罪行為そのものでしかないのだ。
しかし、お金には、国家の信用によって、お金に、信用的価値を与えることもできる。そのため、お金とお金、モノやサービスの交換自体は成り立つが、しかし、お金自体に信用的価値を与えたとしても、信用的価値だけでは、お金自体が増えるエネルギーにはならないため、日本経済そのものは、全く、成長しなかったのである。なぜならば、通貨の信用的価値は、国家の中央銀行の通貨の発行金額によって、どんどん、目減りしてしまう価値でしかないからである。
では、なぜ、マイナス金利政策によって、お金自体の価値をマイナスに設定することが、国家的金融犯罪行為に当たるのかと言えば、日銀のマイナス金利政策という金融政策によって、お金自体が、マイナスの仕事、つまり、お金自体が、減っていくことしかできないようにしたことが、日本経済を、人為的に、わざと、縮小させ、国民の懐から、どんどん、お金を奪っていくことになるのは、当たり前であり、つまり、その日銀の行為は、国民への経済的な加害行為になるためであり、また、日銀が、異次元緩和策の実行によって、日本円のお金自体の信用的価値を盗むことも、その事自体も、どちらも、日本国憲法で、日本国民が保証された、財産権の明白な侵害行為となるためである。
そして、この決定をした、日銀総裁による、人為的な、国家公務員による不法行為に該当する、日本国憲法という、日本の最高法規に、明白に、違反した行為になるためである。
そのおかげで、多くの日本国民は、貧困と化し、経済的な幸せそのものを、大きく奪われたのである。
つまり、このことは、日本国憲法で、日本国民が保証されている、生存権、財産権、幸福追求権の日本国家による
侵害行為に該当することも、明白な事実なのである。
そのため、これらの国家的犯罪行為を可能にした、経済学という学問を、これまで、過信してきた、国の主導者たちの責任が、いかに重いかを、きちんと、この「経済力学」という科学的経済学が、明らかにしたのである。
このように、国家犯罪に用いられるような経済学という学問は、真の学問であるとは、私自身は、決して認められない。そして、このような事実を、経済学者らは、自らの過ちとして、きちんと、反省することを持って、この罪を、罪として、きちんと、再認識し直さなければならないだろう。
そのようなことからも、科学的経済学とも言える、この「経済力学」が、これからの国家の経済運営における、主流な学問になることは、明白であろうと、私は、思う。
私の考案した、科学的に経済現象の解明を可能にする学問である、この「経済力学」こそが、経済現象を科学的に明らかにすることができる、唯一の学問であることを、私は、誇りに思いたい。