どうなるか、予想がつかない

 猫が好きな村上さんが、「猫を棄てる」というタイトルをつけるくらいだから、彼にとってこれはとても大切な本なんだろうな、ということは、すぐに予想できた。人生の流れに乗って京都にたどり着いて、関西圏で生活している僕にとって、本の中に出てくる地名は、すっかり馴染みのあるものになった。西宮市には友人が住んでいるし、安養寺がある蹴上は、よく利用していた駅だ。頭の中で、景色をはっきりと思い浮かべることができるし、村上さんのお父様がその中で生活をされていたのも想像できる。特に、京都大学は、しばらく前まで僕はそこで働いていたし、村上さんの公開インタビューにも参加させていただいた。村上さんを追いかけているわけでもないのに、僕の人生のところどころで、彼の人生と交錯するのは、不思議だし、でもとても嬉しくもある。村上さんは、僕が一番信頼している小説家だから。

 僕は京都で、3匹の猫に出会った。2匹の黒猫と、1匹のトラ猫だ。彼らは京都で生まれ、ずっと京都の我が家で暮らし、それぞれ順番に亡くなっていった。僕にとって、とても大切で、かけがえのない運命の猫たちだ。猫は彼らがほとんど全てだし、もう人生において他の猫を迎えることはないだろうなと考えている。ただ一緒に暮らしていたというだけではない、これからもずっと家族だと考えている猫たちだ。

 村上さんのお父様は、京都にいらっしゃった。僕は父に捨てられて京都に来た。小学生だった頃のことだから、いつから父がいなくなったのかは、あんまり覚えていない。ずいぶん後になってから、捨てられてしまったんだなということを認識した。父との思い出で、今でもなぜかすぐに思い出せるのは、隣に寝ころんで「十五少年漂流記」を読んでもらったことだ。何日もかけて、少しずつ、最後まで読んでもらった。当時はとても文字が多い本だな、と思っていたけれど、今になって思えば、それほど文章が多かったわけではないと思う。

 母からは、父がいなくなってしまってごめんね、と言われるが、いなくなってからの時間がとても長いから、父がいたらどういう風に違っていたかというのが、まるで想像できない。母から聞かされている、父の生い立ち以外に、自分で調べて彼のことを知りたいという気持ちは今のところない。父が亡くなりそうな状態になるか、亡くなったと知ったら、僕の心に変化が起きるだろうか。なぜかまったく想像がつかない。

 この本には、こういうことを考えてみるきっかけをいただいた。他の読者が抱いた感想とは、かなり違ったものだろうなと思う。

#猫を棄てる感想文

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