素人だって映画批評はできる~MOVIE TRAP2 in NO WAY TICKET@ひ録:わらの手
ATG映画「キャロル」(1974年)
1974年6月22日(土)、ATG映画「キャロル」が公開された。
監督は元NHKディレクターの故龍村仁:1940年~2023年1月2日(月)
この映画の元々は、1972年デビューのロックバンド、キャロルに
惚れ込んだ龍村が企画、制作したドキュメンタリーだった。
しかし、NHK上層部は、この作品を再編集し一種の音楽番組として放送。
憤った龍村は、欠勤してこの映画を制作。結果解雇された。
※ 「キャロル」を観てしばらく、いつの事か、どこかのプロダクション
だったか、配給会社だったか。会議室? 応接室?にひとり座っていた
龍村監督を見かけた。物凄い孤絶を感じた。
※ 「上柴とおるのポップス再前線」と言うサイトで、
この映画の再上映があった事を知った。
「ATG大全集」2018年7月21日(土)~9月14日(金)。
場所は「シネ・ヌーヴォ」(大阪・九条)。
上柴氏の感想を引用する。
「VHSやDVDにもならず、衛星放送でもオン・エアされてないようで
‘幻のドキュメンタリー映画’」
⇨ 思い出しては何度か検索した事があるが、何もヒットしなかった訳だ。
「リマスターなんぞ一切施されず当時のまんま、
フィルムは劣化が激しく(?)
画面は赤茶けて音声もズタボロ。。。」
⇨ 言葉もない。話を戻す。
上のセピア色の記事は、当時週刊朝日(1922年2月25日 ~2023年5月30日)で連載されていた読者参加のコラム。
引越荷物を整理していたら、久しぶりに出現した。
まさしく出現したと言う表現に相応しい。
この「素人だって映画批評はできる」と言うコラムは好評で、
週刊文春でも取り上げられた記憶がある。
曰く、プロの映画評論家よりレビューが的確とか・・・。
そこに自分のコメントが含まれていたかどうかは不明。
(いや、確かに引用があった)
自分のコメントのみ抜粋。
「コラージュ風映画絵画とでもいうんでしょうが、
なにかどこかで見たことがあるって気がして。
もうちょっとグサッとくるものがあれば、
キャロルを知らない人にも見せるんじゃないか。」
「ぼくはいなくなったジョニー大倉が川崎から出た、
ということでキャロルが新宿的じゃなく川崎的なものだと
見てたから、この映画で、その情念が消えてしまった気がして。」
「でも、龍村監督は、キャロルの何にひかれたのでしょうか。
キャロルのつまらない日常会話がえんえんと出てくるでしょ。
もし、そんなところに彼が惚れたのなら、インテリがミーハーを
みてびっくりした、ということだけ。」
「テレビでもない、映画でもないという何かあいまいで。」
「なにか龍村さんの中でソフィストケートされてしまった
キャロルですよね。」
「キャロルの音にくらべて映像が高級すぎました。
ビートルズの『ヤアヤアヤア』のほうがおもしろかった。」
(文章、漢字遣い等当時のまま)
⇨ 副題が「ヤアヤア、キャロル」になっているのは、
この発言の引用か。今頃気が付く。
今読むとかなり生意気な事を言っている。
この記事に関係あるのかどうか。
ある雑誌から電話があった事を思い出した。
何の雑誌かは忘れたが、記事になった記憶がある。
生憎、この記事と違いスクラップはしていないはず。
※ 週刊文春には、名前こそ出ていないが、
もう一度、自分の関連する記事の出た記憶が蘇った。
このコラムには、あと二回ほど登場しているが、
何の映画を観たのかは記憶にない。
(当時のメモがあるはずだが。一度は、故石上三登志氏と同席し、
碩学に対し半端な生意気を言った記憶がある。
確か、旧朝日新聞社ビルにあったレストラン「アラスカ」で)
※ 石上三登志(いしがみ みつとし)。
本名今村 昭。1939年1月3日~- 2012年11月6日。
ペンネームの由来は「石の上にも三年」から。
また、何処からか、古い資料が出現するかもしれない。
確か、謝礼は3,000円だったように記憶している。
(当時としては、かなりの高額だった。
同じ年の大学新卒の初任給は約65,000円。
因みに2023年の中小企業の大学新卒初任給は約250,000円。
ホントかよ!!)
当時、ある自主上映団体の運営に携わっていたので、
その所為で呼ばれたのだと思う。
その団体の影の女親分が、その団体の知名度で呼ばれたのだから、
内1,000円を寄越せと言った。思い出したぞ。間違いない。
以上「素人だって映画批評はできる」
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