間引きは必要か
最近日が短い。
あっという間に一日が過ぎるのは日が短いからか、やることが多いからなのか。
大学の最寄り駅から大学までの徒歩は既に生活リズムの中に定着していて、全く疲れることも無くなった。同じ道を歩いているが意外にも気付くことはたくさんあり、この日は定食屋さんが植物を育てていることに気が付いた。
小学生の時に大根を育てた時に「美味しく育てるためには間引きが必要」と教わった。
植物の中の栄養素を集中させることで実が甘くなったり、味が濃くなったりするそうだ。原理がよく分からず大根の葉をひとつ残らず全部抜いてしまい先生を困らせたことも思い出した。先生ごめんなさい。
身近な出来事や世界の決まり事を自分の人生と照らし合わせるのが最近の趣味である僕はここで、
「人間関係は間引いたほうが上手くいくのか?」
との問いを立てた。
関わる人を絞り、自分の許す時間や金を少数の人と共有することで、一人ひとりと過ごす時間は濃くなるだろう。まわりの友達に聞いてもだいたいは「広く浅く」より「狭く深く」がお好みなようだ。
しかし僕はどちらかというと、「広く浅く」を求めているタイプだと思う。
人の笑顔が大きな生きがいである僕は
多くの人の笑顔=自分がそれだけ認められている
と認識している。
特定の人にしか伝わらない笑いよりも万人にクスッとウケる方が個人的には良いのだ。
一つひとつの味が薄くても、多くの人がその味を覚えてくれていたら良いなぁという感じである。
ただこれには実は多大な費用がかかる。
先日大学の学園祭があり、コロナ禍で入学した僕にとっては最初で最後の学園祭だった。
普段はケチな僕も後輩の前ではいい顔をしたくなる典型的な大学の先輩であり、自分の店の餃子を何個買ってあげたか数えられない。
お陰様で2日間で5,000円以上が財布から巣立って行った。いつか戻ってきてくれると嬉しい。
大学生活はあと半年もない。
社会人になれば、1番下になりみんなが先輩だ。
こうして後輩にたくさん奢って喜ばれたり財布が泣くこともしばらくお別れになる。
これも1つの思い出として噛み締めながら、人間関係は間引くべきか、間引いたとしても大切な人は誰なのか、しっかり見極められるようになりたい。
廊下で会っても無視されるような人はくれぐれも好きになってはいけないのだ。
太陽のような笑顔で迎えてくれる人、募集中。