ミライの田んぼの作り方(わたしの場合)耕さない田んぼとの出会い
2011年の震災のあと、立ち止まって、自分の生き方を考える時間が欲しいと強くおもったわたしは、
その時勤めていた会社を辞めて、これからの自分の生き方、自分らしい生き方を模索していた。
その時に、パーマカルチャーという考え方に出会い、その流れの中で『不耕起栽培』という言葉を知った。
福岡正信さんの自然農法や、川口由一さんの自然農である。
「耕さない」という概念に、心を魅かれ
翌年、『冬期湛水不耕起移植栽培』を確立した岩澤信夫先生の『不耕起普及会』の拠点になっていた千葉県神崎町に足を運び、たけしくんと出会う。
↓2019年の6月に書いた記事。
上の記事にも書いたが、わたしは岩澤先生の農法を学びたいとか、お米づくりをしたいという意思を持っていた訳ではなかったし
たけしくんがやってきたこと、やりたいことも理解できてはいなかった。
だけど、2013年に館山で田んぼの教室を開いた頃には、たけしくんの田んぼは『お米をつくる』というより、『田んぼを育てる』ということなのかなとぼんやりと感じていた。
↓その頃の話
そして、漠然と、その田んぼは未来に向かっている、というイメージがあった。