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わたしの服づくり考察①
わたしはじぶんのために服を作っている。
旦那さんのは何着か、つくったことあるけど。
じぶんでつくって、着るのが好きなだけ。
だから、『つくった服を売らないの?』
って聞かれても、それはできないなぁと思う。
わたしはまず、おんなじものを作り続けたら飽きる。
わたしにとっての手縫いや
何かを作る行為は
生きている中の、息抜きのようなもので
ひまつぶし、でもあるし
ごっこ遊びのよう。
手縫いの服づくりは
途中で投げ出しても構わなくて
気が向いたときにやれるので性に合っている。
手縫いはそういう自由さ、気楽さがあるから続けられる。
『服をつくる才能』というようなものがあるとしたら、わたしにはないとおもう。
つくるときは、〝こんな服〟っていうだいたいの感じで
細部まではっきり決めてから作るということはしない。
というか、それは後々しんどくなるし、そもそも頭の中で考えてもよく分からない笑
浮かんだイメージは、あくまでも初動として掴んでおく。
わたしにとって大切なのは、よし、やろうって思う最初の弾み。
これがないと、いつまでも重たい腰が上がらない。あれこれ考えたらできなくなるから。
決めた通りにやるのは、途中でしんどくなる。
だって、計画した通りにはわたしの気持ちは進まないし
やってみて、ああ、もっとこうだなとか、これじゃできないじゃんとか出てくるから。
着ているうちに、着心地とか分かるから
何年か越しに、手直しすることはしょっちゅう。
気持ち良い、悪いの感覚がたぶん繊細なのかなと思う。
とりあえず、今の時点では、ストレスなく着ていられる服は毎日着ているけど
〝あともうすこし、〜だったら良いな〟はわたしの中からまだなくなることはない。
だから、ずっと
〝こうだったら良いな〟を繰り返してじぶんのお気に入りの感覚をデータ収集しているんだとおもう。