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お子さんの「バイリンガル教育」実は「セミリンガル教育」かも?
こんばんは。この頃バイリンガル教育系の発言が多い@hirokonishimuraです。今回取り上げるスレは「Code Switching」の恐怖。
一見、言語を「自由に」行き来していてめっちゃイケてると言う印象ですが、実はこれは「バイリンガル」じゃなくて「セミリンガル」な可能性もあるので要注意です。
これCode Switchingしまくるどちらも完全に話せないお子さんになっちゃうんじゃ無いかしら。言葉が出てこなかったらもう片方の言語に変えて、って言うのを繰り返しているとどちらの言語でも完全にアイデアが伝えられなくなってしまう。帰国子女あるあるの現象。言語切り替えって脳に負担かかるし。 https://t.co/ayR62z5vzY
— Hiro Nishimura ☁️ Patreon to grow @awsnewbies! (@hirokonishimura) January 5, 2020
このスレは、「ひょーどる」さんのツイートがなぜか半年後にTLに流れてきたので、半年前のものだと気づかずに反応してしまって始まりました。
今日のカフェ。
— ひょーどる (@pikumix) April 2, 2019
バイリンガル教育してるっぽいママさんがいて、英語と日本語を交互に切り替えながら子供に話しかけてた。強い。 pic.twitter.com/DKJmc8HIyW
確かに、交互に英語・日本語と切り替えて話すのは、一見すごく高度な会話の仕方で、バイリンガル教育に凄く真剣に取り組んでいる親御さんと受け取れます。ですが、この「英語と日本語を交互に切り替えながら話す」のには大きな落とし穴があります。
Code Switching
WikipediaによるとCode Switchingとは:
コードスイッチング(code-switching)とは、2種以上の言語体系ないし言語変種(方言など)の切り替えが行われることである。
簡単に言うと、二か国語をごっちゃ混ぜにして話すことを指します。
Code Switchingには三種類あるらしい。
文中コードスイッチング
(日本語-英 語)I haven't seen my おばあちゃん in a while(訳:おばあちゃんとしばらく会っていません。)
(日本語-中国語)我學校的老師都很やさしい。(訳:私の学校の先生はみんなやさしいです。)
文間コードスイッチング
(日本語-英 語)これ美味しいよ。Do you want to try this?(訳:これ美味しいよ。食べてみる?)
(日本語-中国語)你叫什麼名字?教えてくれますか?(訳:お名前はなんですか?教えてくれますか?)
付加コードスイッチング(象徴的コードスイッチング)
(日本語-英 語)こんなに塩かけちゃ体に悪いでしょ、you know?(訳:こんなに塩かけちゃ体に悪いでしょ。)
(日本語-中国語)我…其實…えーと…怎麼說呢…,還是不要說好了。(訳:僕…本当はね…えーと…何ていうかな…やっぱり言わないでおくよ。)
スレ主さんが観察していたのは二番目の「文間コードスイッチング」だったと思われます。
私が個人的に厄介だと思うのが「文中コードスイッチング」です。この話し方はインターナショナル校卒でアメリカに留学してきている子や帰国子女と会話しているとよく聞く印象があります。私たち「バイリンガル」の間でもバイリンガル同士で話し出すとすぐに陥ってしまう穴です。
何故Code Switchingはいけないの?
私がCode Switchingを問題視するのは、当事者としての経験から。言語を行き来しながら「簡単」な方の言葉を拾って回って使っているうちに、どんどんどちらの言語も弱くなってしまうのが手に取るように分かる。
私はダントツに英語の方が強いので、英語が弱ることはあまり無い。でも日本語なんかはCode Switchingに頼ってしまうとすぐに弱っていくのが感じ取れる。
両ヶ国語を学んでいる間の小さい子供なら尚更だと思う。
Code Switchingに頼りすぎると同じ「バイリンガルish」にしかわからない言語が出来上がってしまい、普通の人とコミュニケーションが取れなくなる。過剰な言い様だと思うかもしれない。でも私の日本語がある程度弱ると英語がどんどん入ってきて、母親にも「なに?」と聞き返されてしまうことがある。そこまでいくと正直やばい。
一つの言語で完全なアイデアが伝えられなくなる。
両ヶ国語がこうなってしまうと、バイリンガルに育てようとしていたのに、いつの間にかセミリンガルになってしまった。と言うことも稀では無い。個人的に、駐在っ子として何人も何人もみてきた。
親の駐在で渡米。日本語が弱ってきても、両親は「学校で英語を習ってるから大丈夫。」と安心。先生の方は英語ができなくても「この子は家で日本語が話せているから大丈夫。どうせ日本にもうすぐ帰るのだし。」と英語が話せていなくても放置気味。
そして本帰国時に送別会で私たち(バイリンガル)と会って、どちらの言語も話せないことが発覚。「セミリンガル」になってしまっていた。
「セミリンガル」って何?
セミリンガルとは、2つの言語のどちらでも日常会話はできるものの、抽象的な内容を伝達したり理解したりできない状態を指す。いわば、日本語でも英語でも発音良く日常会話はできるのだが、どちらも学習言語としては中途半端で、ものごとを深く考えることができない。
この文章はBusiness Journalのこちらの記事から引用しました:
また、ブロガーの「英語ママ」さんによると、セミリンガルになりやすい環境は3つあるそうです。
① 海外駐在
② インターナショナルスクール
③ 自宅で英語のみで育児
①と②は私が上であげていたケースですね!③は個人的に出会ったことの無いケースなので、コメント出来ないです。
セミリンガルの芸能人
先ほどYouTubeを観ていたら、この様な動画に行き着きました。
モデルの滝沢カレンさんのフィーチャーでした。「なんだか独特な話し方をする方だな〜」と思いながら観て、コメントをスクロールしてみると、皆さんも「不思議な日本語」にコメントをされていたので興味を持ち、ググってみました。
すると彼女のWikipediaにこの文が:
日本育ちながら日本語がうまくないのは、ロシア語通訳を職業とする母の仕事場に来るロシア人たちと片言の日本語で会話していたからだという。いわゆるダブル・リミテッドである。
なるほど。この「ダブル・リミテッド」の記事には以下の様な事が:
ちなみに、一言語のみ習得している者はモノリンガル(monolingual)、二言語の環境で育ち、その両言語において年齢に応じたレベルに達していない者はセミリンガルと呼ばれる。近年は、セミリンガルという言葉が否定的だという意見が増え、ダブル・リミテッドという名称が広まりつつある。ダブル・リミテッドは、日本においては帰国子女や日本に住む外国人児童の間に散見されるため、とくに教育関係者の懸案事項となっており、言語学や教育学の専門家による研究が広く行われている。言語獲得は環境および年齢差・個人差が大きい上に、日常会話能力(BICS)はバイリンガルであっても、抽象思考や学習のための言語能力(CALP)がダブル・リミテッドの状態にあり教科学習に支障をきたす者もいる。何をもってバイリンガル、何をもってダブル・リミテッドと判断するのかは未だ曖昧である。
この頃は色々研究されてるみたいですね。時代の流れを感じます。私もなんだか興味が湧いてきました。
どうしたらいいの?「ルール」作り
どうしたりいのか、は勿論親子親子で違ってくるので、一括りでは何がいい。と断言出来ないです。でも個人での話なら出来ます。
うちの実家では「ルール」がありました。ツイッターで他のバイリンガルの方やバイリンガル教育をされている親御さん達と話していると、皆さんも家で言語の「ルール」があったそうです。
うちの「ルール」
① 家では日本語
② 家族では日本語
③ 英語を混ぜない。混ぜたら日本語に直す。
これを10年以上徹底した事で「両親じゃ無い日本人との接触は一年に一回あるか無いか」+「補習校一度も行っていない」で7歳と3歳で渡米した私と妹は日本語が話せています。
バイリンガル教育。難しいですね。
一般の人たちは、英会話はできるだけ早くからやるのがよい、そうすればバイリンガルも夢ではない、などと思っているようだが、専門家の間では、外国語の学習は、思考の言語としての学習言語力が母語によって確立されてからのほうが効率がよいとみなされている。(上と同じくBusiness Journalより)