家族の闘病日記

2ヶ月前に、両親と横浜へ出かけた。両親は共に70代、自分が40代。5月のバラが咲く山手地区にある洋館や、山下公園を楽しんだ。
その頃、ぼんやりと後20年、今の仕事を続けていくことに疑問をもち、転職活動を行なっていた。今の仕事は日本の企業でWEBのインフラや、システムについてのアドバイスや統括を行う仕事で、チームのリーダーの意向に完全に沿ったかたちでプロジェクトをおこなっていく仕事で、このリーダーが右と言えば右、左と言えば左で、他の者の意見は全く尊重されず、操り人形のような仕事で、こなしていくことはできたが、振り返って何が残るかということに疑問を感じていた。
そんな矢先に、たまたま、ギャラリーが人を募集していることを発見した。
転職にあたって、そこまで現実や今の枠組みから離れた考えもなく、今と同じような分野の仕事を別の会社でということで探していたのだが、ギャラリーの募集広告を見たさいにピンと来るものがあった。思い返せば、美大のデザイン科を出ており、就職してWEB業界に入り、WEBデザイナー兼コーダー>WEBディレクター>WEBガバナンスおよびWEBに関するプロジェクトマネージャーという変遷を辿ってき、WEBディレクターになったあたりから美術出の要素と決別したが、常に休みに美術館に行き、デザインを突き詰めなかったのは、あまりにクリエイティブの回転が速い日本の状況の中で、長時間働き、消耗してしまうことを危惧したためで、(証明されておらず、大学の先生などから褒められたという以外全く裏打ちがないのだが)センスと商売っ気には自信があった。ギャラリーの仕事内容は、もちろん想像しやすいギャラリーでの応対などの通常勤務とともに、日本国内や海外で開催されるアートフェアの出展のための出張や、WEBサイトやSNSなどの更新など、1人で多岐にわたる作業を行うようなもので、これまでの経験と興味と照らし合わせて、向こう数十年をかけて働くのにとてもよい選択に思えた。ただし、これまでWEBの経歴が主で、アピールできるといえば美大を出て、英語ができることくらいだったので、正直選考に通らないであろうと半ば予測しての応募であった。が、面接の連絡があり、まずは電話で話をし、その後、数週間後に実際にギャラリーを訪れ、面談し、過去の自分で書いた文章サンプルなどを提出し、数週間後、結果連絡があった、ーしかもなんとそれは採用いただけるとの連絡であった。

今の会社が日本で有名な企業の子会社であったので、なんとなく両親からはこの転職には反対されそうな予感がしていたが、すでに家も出ており、また、40代の人間に向かって何も文句は言えないだろうと思っていた。少しの懸念は、当方にあまり体力に自信がないことと、美術の歴史や、ここ20年くらいで活躍している現代アーティストに関する知識がほとんどないことであった。また、レストランやデパートでの期間限定の売り子の仕事などはしたことがあるが、接客業をしたのはかなり昔のことであったので、この転職はかなり賭けとチャレンジの部分があった。
ただし、そのギャラリーの創立や運営理念などを知り、それらの不安を吹き飛ばすくらいやりがいが将来にある、また、現状維持よりも変化を選択すると想像するよりプラスの状況が待っているという誰かの言葉をYoutubeで聞いたことがあり、ここは踏ん張って頑張ろうと思っていた。
勤務会社にも退職の意思を伝え、美術手帖や、美術に関する良さそうな本を図書館で漁って読み準備を開始していたところ、突然両親の知人より、LINEで父がコロナになったようだが大丈夫かというメッセージが入った。
この両親の知人が物事を実際よりも大げさに捉える方であり、まったく実家からそのような連絡もなかったので、また大げさに騒がれているのではないかと思いつつ、実家に電話をしたところ、父が出て、コロナの検査キットで陽性が出たが、風邪でも反応することがあるので大丈夫だという応答があった。
当方もコロナのキットを数回使ったことがあるが、2回とも陰性の結果で、そのプロセスから今一信憑性に疑問を持っていた部分もあったため、父の話を信じ、コロナではないと思っていた。
その電話から1番近い週末に実家を訪れた。実家は自営業をしているのだが、父が明らかに具合が悪そうな様子で店先に座っているのを発見した。
これは普通ではないと思っていたら、本人も座っているのが辛くなってきたようで自宅の方に引き返した。その際に口にくわえて調べるコロナのキットを持っていたので、検査をさせたところ、無反応であった。後から思い返したのだが、おそらく痰が多すぎてきちんと検査ができなかったのであるが、無反応=陰性と捉え、コロナではないが具合が悪そうだ、タチの悪い風邪になったのではないかと思っていた。(熱が39度くらいあった)


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