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なぜ90歳まで働きたいと思うのか
皆さんは何歳まで働きますか。
現在働いている会社で、定年の60歳まで、あるいは65歳まででしょうか。
私の周りからは、
・「60歳まで働いたら、その後はもう働かなくてもいいかな。贅沢しなければ、生活できる程度の蓄えはあるし・・・」
・「60歳のあとも、再雇用契約して、同じ会社で働き続けるのかな・・・」
・「もう59歳。転職なんて無理だし、ましてや起業するとしたら、何をやれるんだろう?」
・「社会とはつながっていたい。働いていないと、自分を律することができないような気がしていて・・・」
と言った声が聞こえてきます。
「私は80歳まで働きたい。そして、100歳まで自分の意思で生きたい」
と考えていました。
「・・・考えていました」とは・・・
「定年格差 ~70歳でも自分を活かせる人は何をやっているか~」を読んで、著者の郡山史郎さん(2021年著時点86歳)が
私自身は90歳まで現役で働くと決めている。
と書かれて、
「え?90歳?・・・ふむふむ、確かに。目標は高く、私も90歳まで頑張って働きたい!」
と思うようになり始めたからです。
90年を半分にするとちょうど45年ずつになる。サッカーでいう前半戦と後半戦のようなものだ。サッカーと違うのは、前半戦と後半戦では戦い方変えざるを得なくなることだ。
・・・前半戦は、同世代のライバルや同業の企業と重なり合って競う競争社会で、・・・役職もあげて、給料とプライドを高めてきた。
・・・後半戦に求めるのは、「高給」でも「出世」でもない。・・・何をエンジンにするのかといえば、高給でも出世でもなく、「好きなこと」「楽しいこと」「幸せ」である。
同書を読んで、同じ「働く」という言葉でも、年代によって「働く」ことに求める「価値が変わる」、いや、「変える」という発想を持つと、例え同じ会社で働いていても、目的を修正することでモチベーションを保てる、非常にすっきりと整理ができました。
言い換えると、
働くための「Whyの再考」
でしょうか。
「何のために働くのか」
今までと同じことを求め、役職や給与にこだわっていては、モチベーションが下がるのは当たり前です。仕事の責任や仕事量が比例して下がる訳ではありません。そして、多くの人がココに捉われ、マインドセットが難しいのかもしれません。その結果、リタイアを選んでしまう。目的があってリタイアを選ぶのは「選択」ですが、そうでなければ、逃避行となってしまいそうです。
「経験」を活かせるのも45歳まで!?・・・経験が活きることは確かにある。ただかつてよりもうんと小さくなっているのは確かだ。デジタルテクノロジーの進化によってビジネススタイルは大きく変わった。
「今までの経験を活かし、何ができるだろうか」
私もかつてそんなことを考えていました。
しかし、外部環境が変化していく中で、経験だけをベースに、アドバイスできる領域はどんどんと減っていき、スキル発想での仕事ではなく、働きたい仕事のための学びが大切であることにつながりました。
私も様々な角度から考えた結果、
働くことが「イキガイ」
だと思っています。
何かしらの価値を提供し、それを評価いただく、ということです。
良い評価いただく、ということは、誰かの役に立っている、と感じられることです。
広報を長く担当し、よい商品・サービスを広め喜びをともに味わいたい!という想いとも通ずるところがあるのかもしれません。
同書での冒頭で、
年齢で差別されることなく、働きたい人が働ける世の中にしよう
という言葉にメチャクチャ共感しました。
私自身が86歳の今もこうして元気でいられるのは、この喜びを労働から得られているからに違いない。人は自分のためにだけにはがんばれない。自分だけちゃなく、ほかの誰かのためならば、うんとがんばれる。
そのためにも、自分がワクワクする仕事、抽象的に言うと「自分にとっては何が幸せか」の「好き」や「得意」をもっともっと掘り下げていきたいと思いました。
90歳まで働くなら、楽しくないとやってられません(続けられません)!「好き」「楽しい」「ワクワク」「幸せ」の自問自答をし続けていきたいです。そのためには、コミュニティが有効ではないか、という仮説を模索中です。
同本については、以下のnoteでも紹介されていました。