神様との丁度いい距離の取り方をする日本人
夫がフランス人だからなのか、たまに聞かれることがあります。
フランスってカトリック教の国だよね?
うーん、そうとも言えるし、そうでもないとも言える。
なんと答えればいいのか分からず、いつも答えに苦しみます。
個人的なことを言えば、夫は無神論者です。そして彼の家族も。
例えばこんなことがありました。
それは私にとって、結構ショッキングな出来事でした。
夫の父親、つまり義父が亡くなった時です。
義父が病院で亡くなった次の日、警察がやって来ました。なんの事故や事件も起こらず、亡くなったのかを確認するためです。そして、何もなかった事を確認すると、木で作られた立派な棺が運ばれて来ました。
日本の棺は四角形ですよね?
フランスのものは、映画や漫画で見るような、ドラキュラが入っているあの形をした六角形の頑丈そうな棺です。
その棺に遺体が入れられると、棺の角を6ヶ所、穴が空いている場所に太い木の杭を打ちつけ、蓋を閉めました。
絶対開けられないよなぁ〜。
死者が甦ってくるのが、よっぽど怖いんだろうなぁ〜、って思うほど。
その数日後、やっと予約が取れた日に火葬場に行きました。
リュックベッソン監督の映画『ジャンヌダルク』を観た人は覚えていらっしゃるかと思いますが、キリスト教徒にとって焼かれることは一番辛いことでした。なぜなら、伝統的なキリスト教の価値観では、最後の審判の時まで肉体が残っていなければならないからです。
日本でもほとんどの人が火葬され、それに対して教会側も色々なコメントを出し、火葬されても大丈夫だという信徒さんもいらっしゃいますが、もしフランス人のほとんどが厳格なキリスト教徒なら、きっと火葬場なんてないんだろうと思います。
でもね、その前に思ったのですよ。
お葬式はどうするの?
日本ではお葬式があって、しかもお葬式をするための場所などもあって、そこでみんなでお別れをするのですが、そんなものはフランスには存在しません。
敬虔なキリスト教で、寄付もすごいなら、教会でお葬式をすることが可能かも知れませんが、夫の家族は無神論者。もちろんキリスト教会で挙げるわけはありません。
ってことで、なんか全てをすっ飛ばしたような気分になりながら(って私だけなのでしょうが)、火葬場に行きました。
その火葬場には、いくつかの部屋があり、そこで最後のお別れができるようなのです。
部屋に棺が運ばれ、その前で、みんなが色々と思い出の話をしたり、歌ったり踊ったりすることもあるようです。
でもやっぱり私は何かを忘れているような気がしてなりませんでした。
亡くなった人のために祈ってくれる、お坊さんも、牧師さんも、なんだったら神主さんもいません。
誰も義父のために祈ってくれず、そして彼らもそういうものを信じていないので祈りません。
そして、死んだあと、地獄に行くのか天国に行くのか、なんてことも信じていないし、ましてや仏教のように輪廻転生を信じてないので、死んだらそれで終わり。何も残りません。
なんか寂しいなぁ〜、なんて思ったりしたのです。
死んだ時に寂しい、と思わないために宗教を信じるのはなんだか違う気がしますが、日本に仏教が伝来してこんなに盛んになったのは、仏教が死ぬことを忌み嫌わず、生まれ変わってまたこの世にこられる、と教えられたからじゃないかな、と思うのです。
私たち日本人は、神様を信じているようで信じていない。
はたまた信じていないようで信じている、という不思議な状態。
でも実はこれぐらいが丁度いい感じなのかも知れませんね。