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子供は親の背中を見て育つのかもしれない

結局何にもなれず器用貧乏なままだ、ということは前回書きましたが、私にだって夢はありました。

幼い頃、テレビで高田賢三さんのファッションショーを見て、かっこいい!と思い、ファッションデザイナーになる、と心に決めました。

80年代初頭、日本のメーカーが世界に名前を轟かせ始めたことでした。TOYOTA、KAWASAKI、SONY、etc…。
その中で、個人の名前が世界に認識されるのって、とってもカッコいいと思ったのが理由でした。

ファッションデザイナーになりたい、と母に言った時、教育ママごんはそんなに反対しませんでした。不思議に思っていたら、数日後、私が何をやっても怒らない父が、突然私に厳しい顔をして、自分についてくるように言います。
行き先は、私の部屋でした。
私の部屋には押し入れがあるのですが、私はベッドで寝ていたので、押し入れを開けたことも、何が入っているかも知りませんでした。
父はその押入れの奥の方にあるツヅラを出し、私の目の前に置きました。
私は舌切り雀を思い出しました。

これ、開けたらお化け出てくるツヅラとちゃうん?!

息を呑んで、父が開けるのを待ちます。
出て来たものはお化けではなく、高そうな素材を使った洋服たちでした。

「何これ?」

父は一着ずつ丁寧にツヅラから取り出し、愛おしそうに眺め、ポツリと言いました。

「これな、お父さんが作ってん。」

父は若い頃、テーラーとして働いていたそうです。
ツヅラから出てきた何本かのトロフィーは、彼が腕の良いテーラーだったことがうかがえます。
聞くと、神戸に店を構え、それなりに繁盛していたそうです。

「何で辞めたん?」

「お金持ちのお客さんがいっぱい来てくれはってな。何ヶ月も先まで予約がいっぱいなほど繁盛してたんや。良いものを作ればお客さんは喜んでくれる。そう思って一生懸命作ってた。そのうちな、あるお客さんが言わはんねん。『イタリアにフラノっていう良い生地があるらしいから、それを輸入してその生地で洋服を作ってくれ』って。最初のうちは、イタリアから届いた綺麗な生地を見て、こんな素晴らしい生地で洋服作れるんやってワクワクしてた。それが評判良くて、たくさんの人がその生地で作ってくれって注文をくれはったんや。でもな、イタリアから輸入するのに3ヶ月ぐらいかかるねん。納期もあるやん。納期に間に合うために、ちゃんと日本に着いてくれるか心配やったし、おまけにその生地は柔らかいから取り扱いにすごい神経使うねん。しまいには、その生地にハサミを入れる手が震え出した。間違えて切ったらあかん、納期に間に合わせなあかん、って色んなプレッシャーがかかってきて、どうしようもならへんようになってしもた。お父さんは弱かったから、お酒に逃げた。そうして、全部あかんようになってしもた。」

父は私を申し訳なさそうに見つめます。

「お前はお父さんに似てる。だから、きっと同じ思いをするようになる。だから、ファッションデザイナーになるっていうことには、反対や。」

父の娘を思う気持ちが痛いほど身にしみ、ファッションデザイナーになる夢を諦めました。

その当時、私は父が何の仕事をしているのか、実は知りませんでした。
どこの会社で働いているのかは知っていましたが、そこで何をしているのか、質問しても毎日やっていることが違ったので、結局わからずじまいです。

いくつもの賞を獲得するテーラーだったとしても、続けられなければ他の道を探さなければならない、という現実を突きつけられた気もしました。

教育ママごんのおかげで器用貧乏になれたのですが、根底には父とのこのやりとりが、私を何でもソツなくできる人になった方がいいと思ったのかもしれません。

親の教育で子供はどんなふうにでも育ちます。
子供は親の背中をじっと見ています。
そして、他の大人たちも観察されています。

あんな大人になりたいな、と思ってもらえるような大人になれているだろうか、と自問しながら生きるのも、ええじゃないかと思うのです。

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