足が良いか、手が良いか
随分前に、元上司とランチをした時のことです。
右ひざが曲がらず、びっこを引きながら歩いている私を見て、彼は言いました。
「大変だね~」
そういう彼は、首の付け根の神経が圧迫され、左手が動かせない状態でした。
オーダーしたハンバーグを、お店の人は良く知っているようで、彼の分は食べやすい大きさにカットしてサーブしてくれました。それを美味しそうにお箸でいただきます。
その姿を見て、私は手が使えないのも不自由じゃないか、と思ったのですが、
「右手があるから、不自由さはないよ。食べるのもみんな箸で食べられるし、書くのも、パソコンのキーボードを打つのも、片手で出来なくはない。でも足が痛いと、どこにも行けないし、大変だよね」
と涼しげです。
確かに。
東京の街は、階段が多いので、足が悪いと大変です。
地下鉄は上りのエスカレーターはあるのに、下りのエスカレーターがないところがほとんど。エレベーターはありますが、遠回りしなければならない時があり、遠回りするのがつらい!膝が痛い時は、階段を上るよりも下る方が痛いんですけど、私だけですか?!
去年の7月。長雨が続き、膝だけでなく両手首が腫れあがってしまいました。
私のリュウマチは、湿気に反応するようです。
モノを持つことはおろか、手首を回すこともできません。
食事をする時が大変でした。
私は元上司を思い出し、夫にすべて一口大に切ってもらいました。
箸を持つことはできませんが、フォークを持つことはできました。でも、フォークにつきさした食べ物を口に運ぶには、手首を回さなければなりません。
それが痛くてできない!
もうこうなったら最後の手段、と、グーの手でフォークを握り、その手を口よりも少し高く上げ、パン食い競争のようにフォークから食いちぎるようにして食べていました。
エレガントにはほど遠いその食べ方を、フランス人の夫は見て見ぬふりをしておりました。
足も痛かったですが、座ってしまえば痛みはありません。一方手は、座っていようが立っていようが、常に使っているのでその度に激痛を我慢しなければなりません。
トイレに行っても、パンツを上げるのが難しく、行くのも我慢したほどです。
元上司が言っていた、「手は足よりもマシ」説は、私の中では却下となりました。
冬が来て、空気が乾燥してきました。
手首の腫れが、日に日にひいていきます。
フォークで普通に食事ができるようになり、トイレに行くのを我慢することもなくなりました。
一つずつ、一つずつ、出来ることが増えていきました。
出来るたびに嬉しくて、その度に夫に報告します。
夫はいちいちされる報告に、「もうええわ」とは言わず、一緒に笑ってくれます。
手が痛くてほとんど家事ができず、夫にたくさん手伝ってもらったのに、彼は何の不平も言わず手伝ってくれました。
彼には本当、感謝です。
体調のいい日だけ、掃除を多めにしたり、アイロンがけをしたり、という日がまだまだ続いていますが、「足が良いか、手が良いか」ではなく、「足もあって、手もあって」、“ええじゃないか”としみじみ思う毎日です。