孤独の効能 | 中国隔離day4
5月1日 中国隔離生活4日目
この部屋に幽閉されてから、もう4日も経った。
中国の政策が変わり、同じ飛行機に乗っていた人で隔離中に陽性になった人がいなければ、14日の隔離期間が10日になるそうだ。(その後都市を移動してまた更に7日間の隔離があるのは変わりないのだが。)
10日だったとしたら、もうほぼ半分まできているじゃないか。あっという間だ。
ずっと閉じ込められているわけだが、意外とこの4日間で「暇だな」と思ったことはない。やりたいことがありすぎるのだ。早く終わって欲しいような、終わってほしくないようなそんな心持ちだった。
渡航前に、この状況を発信するために毎日何かしら(noteか、Youtube)作業をするという目標を立ててはいたが、noteを今のところ毎日更新していることに自分でも驚いている。
今まではnoteを書くのは結構時間がかかっていて、何日かかけて1記事を書いたりしていたからだ。
中国に来てからまだ5記事しか更新していないので調子に乗るのはまだ早いのかもしれないが、今はするすると言葉が出てくる。孤独が私を多弁にしているようだ。
思えば、大阪に住んでいた頃、今noteに書き綴っているようなことを友達に何時間も熱弁したりしていた。ある友達とはマンションの下で5時間喋ったし、ある友達は深夜の居酒屋でいつも夜な夜な私の偏屈な理論を聞いてくれた。
東京に引っ越してからは、やはりそういう機会は減ってしまった。東京に来てからも何時間も電話に付き合ってくれる友達がいたが、その友達に彼女ができてから電話するのは気がひけるようになってしまった。(もし私がその彼女だったら、自分の彼氏と2時間も3時間も電話している女は目障りに違いないからである。)
今でも電話の相手をしてくれる大好きな友達はいるけど、私の友達は社会人が多い。彼女たちが平日仕事でクタクタになっているのを知っているし、せっかくの休みはきっと楽しく過ごしているだろうから、私の哲学めいた話を延々聞いてもらうのは、なんとなく気がひけるのである。(きっとそんなこと気にしないで電話しようよ、と優しい彼女たちは言ってくれるだろうが。)
だからnoteという媒体は今の私にぴったりなのかもしれない。
隔離生活は、ほとんど真新しいことは起きない。1日目や2日目はこの新しい生活のシステムを初めて体験して新鮮な気持ちだったが、4日もすればほとんどが同じことの繰り返しである。
しかし、忙しく色んなところに行き、色んな人と話していた日々より圧倒的に心は忙しくしている。
隔離が終わってからも、忙しい東京の街に帰ってからも、こういう時間を作るのは必要だなと感じた。
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夕食を食べ終わり、部屋の前に置かれたゴミ箱に容器を捨てるためにドアを開けると、一つの手提げ袋が置かれていた。
袋には「Welcome to Panyu」と書かれている。(Panyuは広州の町の名前)ドアの前にものを置くときはいつもノックで知らせてくれるのに、無言で置かれてあった袋に、「爆弾でも仕掛けられてるんじゃないか?」と少し警戒心を抱いた。
袋の中にはヤクルト1パックと、N95のマスク、感染防止のゴム手袋が入っていた。
ヤクルト飲んで免疫力を上げて、マスクと手袋してしっかりコロナ対策してね。というメッセージだろうか。
こんなに科学が進歩した現代社会でも、私が今コロナの予防にできることはヤクルトを飲むくらいしかないんだな。人類のヤクルトへの厚い信頼を感じた。
そんなことより、昨日頼んだ追加の水がまだ来てへんぞ。