②母子家庭のリアル
朝4時
眠い目をこすって起きる
ベビーベッドで眠る娘
・・・寝てる。
良かった。
「おがやぁぁ!おがやぁぁぁ!」
あ”あ”あ”あ”あ”あ”~
起きたぁぁぁぁぁ。。。
ゆっくり眠る間もなく、1対1の戦いが始まる。
自分の用意もできぬまま、
おっぱいを、くわえさせて出勤の準備。
バスで片道20分の通勤時間。
決して楽ではない。
バスの中で授乳することも、よくある話。
病院での仕事は、思いのほか楽しかった。
看護師さんとの会話。
薬剤師さんとの会話。
そのすべてが私にとって刺激であり、楽しさであり、
幸福な時間だった。
病院と併設されている託児所に娘を預けて、
毎日バス通勤。帰っても娘の、おむつに、おっぱいに、お風呂に
夜中の授乳。と、心休まる暇もない。
これから、娘も大きくなって教育費もかかるから、
土日も働ける病院は、私にとっては、とても最高の仕事場だった。
「精神科」への入院・・・
なぜ、私が?
なぜ、ベッドで寝ているの?
この管はなに!?
なぜ、点滴だらけなの!
難病・線維筋痛症
そう、レディガガが闘病を公言した病気。
そして、自さつ者まで出した病気。
私は、今、こんなことになっているのか・・・
娘は!?
娘はどうなったんだろう!?
親子関係の悪かった、私と母は、
きちんと会話もしないまま、私は自分の娘を親に預ける形で
入院することになった。
働きすぎです。脳が麻痺しました。
医師の言葉が信じられない。
「うそだ、
そんなはずはない」
一応ちゃんと寝ていた
一応ちゃんと食べていた
でも・・・
たしかに、私は、まともな睡眠も食事もとっていなかったかもしれない。
休日も働いていたとはいえ、あらゆるものにお金がかかり、
自分のために使えるお金はわずかしかなかった。
シングルマザーなのに、近所の公立保育園には入れず、
高いお金を払って、民間の託児所に預けることも。
手取り11万円
それが、私の全てだった。
それが、私の価格だった。
悔しかった。
辛かった。
なんで、大学院まで出た私が、こんな
こんな、最悪な人生を歩んでいるんだと。
学歴なんて、くそだな。
と、
全てのことに虫唾が走り、
くそ!
くそ!
くそ!
と、いつも、
イライラしていた。
「ママ、ママ、ママがいい~!!」
遠くの方から聞こえた娘の騒ぐ声。
あ、娘が来ている!
抱きしめたかった。
可愛い、大好きって言ってあげたかった。
でも、
私が発した言葉は、
「痛い!!!あっちへいけ!!」
だった。
娘が、私に駆け寄ってくる
その風圧でさえも、私の全身に痛みとなって伝わり、
まるで、
血管の中に、ガラス片が流れるがごとく、
全身が、裂けそうな、するどい痛みが襲い、
もう、しぬほうがマシだとさえ思うほどだった。
「ママ、ごめんなさい、ママごめんなさい、
ママごめんなさい、ママごめんなさい」
目の前で、泣きながら謝る娘を見た時、、
なんて最低の母親だと思った。
私は、生きる価値もない。と、思った。
子ども一人、ろくに守ってやることも出来ない。
抱いてやることもできない。
愛することもできない。
腐れやろうだと、自分のことを
心から、恥じた・・・
つづく。
こんにちは!
野邑浩子
ノムラヒロコです!
(HPはこちら)
私は、障害者施設の理事長
兼
起業コーチを行っています。
2023年
2社経営グループ年商1億
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モットーは
【起業しない起業】
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