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長銀団地という生き方 その6

長銀団地という生き方 その5よりつづく

お通夜の朝、兄は目玉焼きを作り、トーストを焼き、紅茶を入れている。
それが全てぴったりのタイミングで出来上がるように細心の注意を払っている。

私は風邪を引いて、何とかしなければ、と手当たり次第に飲んだ薬のおかげで胃が荒れて、ほとんど何も食べられなくなっていた。

昨日買ってきたお気に入りの”食事の時に飲むヨーグルト”を湯呑みに注ぐ。湯呑みといっても母の食器棚にあったものであるから、小振りで薄手のレリーフ柄の柔らかい緑色の青磁のような釉薬のかかったものである。

縁がちょっと欠けているのが惜しい。母が割と几帳面なのか、食器を割らない人であったのだが、なぜか、お気に入りのもの、とか、高価な物に限ってちょっと欠けているのが不思議である。

兄も、「僕ももらおうかな?」とグラスを差し出す。がそのグラスはどこかのおまけの子供用のもので、ちょっとこのお気に入りのヨーグルトには合わない気がする。食器棚から別のを出して、「どうぞ」と差し出す。

ヨーグルトを口に含むとー不味い。

胃だけでなく味覚もやられているのだ。

昨日、義理の姉のハナさんが入れてくれたほうじ茶を口入れた途端、同じ言葉を口にして申し訳なく思ったのだが、今日もダメなようである。


今日の午前中は、とにかく団子をこさえないといけない。

打ち合わせの時に担当者の方が、「難しようでしたら、こちらでご用意できます。」とおっしゃてはくださったが、今日は他にやることもないのだ。

兄には、「今朝は私は団子作りに集中しますから邪魔をしないでください」と宣言してあった。

団子作りは、時間との勝負である。もたもたしていると形がまとまらない。
わたしは父の最後の食事に全集中したかった。

すり鉢を出して洗い、水を張っておく。すりこぎも洗い、その先を水の中につけておく。

担当者の方からお皿と共に渡された上新粉の袋の裏を見ると、
「250mlの熱湯(80°C以上)とよく混ぜて、大まかにちぎり、蒸し器で20分蒸したのをすり鉢に入れて、すりこぎでよくつく。それを12等分にして丸める」とある。出来上がった子から美人さんの6個に父のお皿に乗ってもらおう。電子レンジでもできるとあるが、母はよく蒸し器を使っていたので蒸すことにした。

お湯を沸かして、プラスチックの計量カップを準備する。
一番大きいボールに粉をあけ、お湯を注ぐ。初めは箸でぐるぐる混ぜて水分が均等にいき渡ったところで、手でこねる。

私だから、この説明でも何とかなるけど、CookPad的にはこの説明じゃ無理だよね〜などと冗談を言いながら、どの塩梅までこねたら良いのか、自分の手に尋ねるほかはない。

父好みの美人さんに仕上げないといけないから、滑らかになるまでこねる。生地の暖かさが心地よい。

それを掴み取るようにちぎって、蒸気のたった蒸し器に入れる。ふきんが見つからないが、クッキングペーパーでも良いだろう。入れる際は二人でやるのがいいのか、一人の方がいいのか?とちらっと兄の方を見たが、先ほどの私の言葉が効いているのか、手を出す様子はない。

強火でがんがん蒸すうちに、ふっと、こんな火力でお湯は足りるのだろうかと気になる。何となく鍋臭い匂いもしている。

団子にかからぬように気をつけながら、鍋縁からそーっと湯を足す。幸いなことに空焚きになった鍋の出す、シャーっという音は聞こえなかった。

水に浸かっていたすりこぎからの先から茶色いアクのようなものが出ている。すり鉢の水を空けて水切りに伏せておく。

いよいよ勝負の時である。

すり鉢を食卓に乗せ、蒸しあがった団子を一気にあける。

その時である。兄が言った。
「僕が、つこうか?」

私はこのタイミングで、と思いつつ、すりこぎを兄に渡す。

彼はぐいぐい、力一杯やろうとするのだが上手くいかない。そのうちにもちがすり鉢に張り付いてきた。水をつけたしゃもじで返し、すりこぎの先も水に浸して餅つきの要領でやるのだが、その餅つきの要領、というのがまずわからない。

ちょっと貸してみて、と言って今度は私がすりこぎを手にして、トントン、ドンドン、とついてみると、トントンの方がいい様子だ。

兄に、「こうやってもう少し軽くやるといいみたい」とすりこぎを返し、トントントントンーしゃもじで返し、すりこぎも濡らし、を繰り返して、まもなく美しい、艶々光る餅ができた。

今度はそれを手水をつけた手で、当分にちぎっていく。それを美しい真ん丸の団子に丸めるのだ。が、時はすでに遅し。餅生地は冷えてしまってすでにいうことを聞かない。

不格好な団子たちをみながら、でもそれをみて嫌な気持ちはしなかった。

一人で完璧に作り上げた団子より、多少不格好でも兄と二人で作った団子の方が、父は嬉しいに決まっている。


葬儀の準備を通じて、私は父からの最後の教えを受けている気持ちになった。



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