勾玉 っていうモノ
勾玉
というと。
我が国における「三種の神器」のひとつ。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
と、されている。
が。
今話においては、もっともっともっと個人的な話。
どういうわけか、アノカタチが、ずっと昔から好きだった。
特に神様とか興味なかった頃から。
実際の接触としてはっきり記憶しているのは、子どもの頃にお土産にもらった勾玉。
鉱物標本とか、それ系の図鑑とか好きで。
小さなケースに12個とか入った標本セットを買ってもらったこともある。
だから、その流れで、お土産に選んでもらえたのかもしれない。
確か、根付けになっていたんじゃなかったかな。
当時は根付けなんて言葉も知らなかったけど。
たぶん小学一年生とか、それくらいだったと思われる。
そこらへんは、曖昧。
そして、子どもの頃のモノにありがちなオチで、いつのまにか失くした。
神様を描く時、装身具を描きこむ場合は、だいたい、勾玉がどこかに入る。
というか、スサノオ様については、最初の一枚から、いつも同じデザインの首飾りを描いてる。
たぶん、100%描いてると思う。
色も決まってるし。
なぜそうなのかは、知らんけど。
天照大神も、100%ではないけど、勾玉の装身具を描くことが多い。
陶器も、絵付けだけでは物足りなくなって造形からするようになってすぐに、お皿のオリジナル型を勾玉で作った。
今も使っている、自分の創作全体を統括するシンボルも、勾玉モチーフで組み立ててある。
そんなこんなで、勾玉は、わたしにとっては特別な感覚のカタチなのだ。
なんでそうなのかは、知らないけど。
で。
目下のところ、もっと勾玉づくしにしたい意欲が沸いており、これでもかというくらいに「なぜ勾玉?」と思われるくらいに、何にでも勾玉を入れてやる!って目論んでいる昨今だ。
制作中の薬師如来像にも忍ばせてあるし。
握り石みたいな陶器品も、勾玉ばっかり作っている。
今日から作り始めたのは、花器だ。
オブジェでもいいが、水をちゃんと入れられるようにする。
そして、かなり手の込んだ、繊細な細工を施していく。
成功するかどうかは、焼いてみるまでわからない。
本焼きまで終えたら水漏れするやん...みたいな話もありえる。
そして、それもまた一興だ。
勾玉の霊的な意味とか、いろいろ、言われていることはあるけれど。
そういうのを棚上げしても、カタチとして、好きだ。
ストレートに、好きなカタチを作る。
楽しき創作道である。
いずれ、その品々が、あなたに幸をお届けすることになるだろう。
幸アレ!