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黒銀の渋艶 憧れの「瓦色」ようやく



構想〇〇年って、言ってもいい?

その色に憧れたが、個人が作れるものではない、と思っていた頃があった。
今から10年か、もっと前にさかのぼる。

作れるかもしれない、と思いはじめてから7、8年が経つ。

その色を、とうとう、手に入れた。

陶芸の話だ。

思えば...まさかメインポジションに陶芸がくることになるなど、思ってなかった頃からの憧れだった。
単純に、黒光する燻し銀の色が好きだった。
鬼瓦の造形も好きだった。

ただ、瓦も「やきもの」である...とは、認識が結びついていなかった。


ついつい、芸術よりの伝統工芸ジャンルで考えてしまうけれど。
やきものとは、そもそもが工業製品だ。
5年前までの居住地だった愛知にも瓦産業がある。

というか、愛知は陶器産業のメッカみたいな地なのだ。
そこに住みながら、陶芸への関心はさほどないまま過ごした。
なぜって。
「立体造形は苦手」と、劣等生だった高校生時代に刷り込み完了していたからだ。

40代も半ばを過ぎてからの様々な関係性の中で徐々に流れができていった「立体造形作品」だったのだ。

それもこれも。
天使がやってきて絵に介入するようになる以前は、「自分の手」との接続がほぼ切れた状態だったことが…
「自分の頭」だけで、どうにか、何かをひねりだそうとしていたという半身以上の自縛モードの結果だ。

ああ…その話に及ぶのは本筋からズレすぎるので、戻す。


そもそも「やきもの」とは工業製品だった

ついつい、芸術よりの伝統工芸ジャンルで考えてしまうけれど。
やきものとは、そもそもが工業製品だ。
5年前までの居住地だった愛知にも瓦産業がある。

というか、愛知は陶器産業のメッカみたいな地なのだ。

瓦が「やきもの」だと気づいた時、どうやって作られるのかリサーチした。
実際に、愛知県高浜市のかわら美術館などにも行った。

しかし、知れば知るほど「個人が小さな電気炉で焼く」ようなシロモノではなかった。
まぁ、当然と言えば当然。
で、そこらへんで、「個人では作れないモノ」として、わたしの中での分類は終わった。

いつか、機会があればワークショップなどに参加してみたい...という憧れだけに留めた、という。


それでも、頭の片隅に「自分で作る可能性」を残し続けるのが、わたしの強欲さ。
執念深さピカイチと言われる蠍座の女だしな。
材料も工法も皆目わからないモノであっても、作ってみたいと一度思ったらずっと、片隅に置く→忘れた頃にヒントを得て、実際作るに至る。
そんなことが幾度あったことか。

だから、瓦色も、当然ながら可能性は残し続けた。

鬼瓦という「造形」は、焼き色云々に関係なく作れるものとしてやってみたが。
やはり、色は重要なところで。
どうも、パッとしない。
ひとつだけ、鬼の顔を作った時は造作がまあまあ気に入ったので、残してある。

どうやらこの鬼、初の立体造作品だったらしい。
2015年の話だ。
なるほど、気に入ってる感はそこからかと、いまさら納得しているところ。

焼成後の画像が探しきれず、この画像はインスタからのスクショ。
当時はでっかく落款を画像に入れるようにしてたんだが、今見るとややウザい。
でもこれくらい入れておいた方が後々いいこともあるのは経験済み。



自力実現の可能性出現


最近、瓦に似た色になるっぽい釉薬を知った。

仕入れる予定はしていたが、まだ実行してない。
だから、実際に瓦色の雰囲気になるかどうかは不明だ。
一応説明を読む限り、うちにある小さな電気炉でも焼ける釉薬ではある。

しかし。
瓦は、「釉が溶ける温度まで上げる」でいいわけではないので。
うちの窯では不可能な焼成方法で作られているので。

釉薬で出るのは、「似た感じ」なのだろうな...と思う。
ゆえに「これでいけるかも!」と速攻ゲットだぜってならなかった。
どうせ満足できないだろうから。


そんな時。
バイト先の、体験教室へ来られる人向けに並んだ見本作品の中に、瓦色のものが登場したのだった。

もちろん質問した。
あっさり、回答があった。

4ヶ月に一度、その色になる焼成法で焼く時があると!

普段使っている越前土が、その色になる!

それを知った日から2週間後が、4ヶ月に一度の焼成受付締切だった。

たまたま、友人が遊びに来て一緒に作陶をしている間の手遊び感覚で作った勾玉があった。
ゆっくり乾燥させて、途中で表面に文様を刻もうと思ってラップに包んでいたもの。

早速、表面加工を施した。
内部までしっかり乾燥させて、素焼き。

ここまで終わったのが、陶芸館の焼成受付締め切り3日前。
いやぁ、もう、相変わらずのギリギリ滑り込みだ。


黒銀、憧れ顕現

そして。
焼成されてきた。

瓦の、黒銀になって!


念願の黒銀になって戻ってきた勾玉


自分の作ったモノを見てテンションがあがる...というのは、わたしには、滅多にないことだ。

手の人格と頭の人格にいまもまだ乖離があるためか。
作ったものを、一歩も二歩も引いて、見る。

しかし、今回ばかりは違った。

昨年この教室のバイトに入ったのは、これのためだったのか...とすら思えた。
(もちろん、そうじゃない。ここに至るまでに、職場からいただいたものは数知れない)

ようやく。
ようこそ、いらっしゃい!


今後へと、さらなる妄想


越前の土よりもっと鉄分量の多い、信楽の赤土を使ったら。
さらに、黒光りになるのだろうか。

越前土の鉄分だけでも、これだけ黒く蒸着した。
ここに、ベンガラやら鉄赤釉薬を部分掛けしてみたら、質感の違いがどう出るだろう。

透明釉薬を薄く吹き付けると、成分がキラキラの粒になって付着すると。
それもやってみたい。

妄想が、止まらない。

そしてそして。
この色が出ると、わかったから。
前述の、似た感じになるらしい釉薬を、とうとう買った。
まずは1kg。

実現できないから、代わりに...という発想で使っても絶対に満足いかない。
だが、無釉での燻し銀が得られるとわかった今。
その釉薬は「代用品」としてではなく、別の作り方をするための手段として、試す気持ちになれた。



この勾玉は、今後の作陶品の方向を占うものだった。

実は、勾玉というカタチには昔から並々ならぬ執念があって。
自分の窯を手に入れる前から、勾玉型の皿を作ってきた。
窯を手に入れて最初に焼いたのも、勾玉型の箸置き群だった。

目下のところ、もっと勾玉型のモノを作っていくべく、造形品のライン設計をしている最中。

その渦中に飛び込んできた、この「憧れの黒銀」だ。

さあ...これからの陶芸品デザイン、楽しくなってきた。



余談。

この勾玉と、もう一点、一緒に焼成してもらった。
そちらは、また別記事にする。
自分のための実用品として「質実剛健であれ」と思って作った。
それが思いのほかいい雰囲気になって戻ってきたので、少々加飾もしてみようと考えている。


わたしの陶芸品は、「ひとりからはじめる天下泰平」のための依代となるもの。

これらは、その願いのもと、作られる。

あなたに、幸アレ!


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緋呂@ひとりからはじめる天下泰平
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