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「どんなところも、余すとこなく...ね」

ワズキャン/メイドインアビス 烈日の黄金郷
(単行本6~10巻相当)
コミックガンマ連載中
アニメ版公式X


その“いのち”は、仲間達を生かした。
その“いのち”は、死に絶える道しかなかった者たちに、新しい光を与えた。
その“いのち”は、変容をもたらした。
その“いのち”は、暗き安寧を生んだ。

“いのち”を使われるために生まれてくる命。

その命は、何もしなくても一日で終わってしまう運命。
しかし、カタチを変えることで活かされ、役目を得、果てぬ祈りとなった。




大穴の深淵が、自分の中心

この世に与えられた「器」を何十年か預かり。
器に与えられている能力を活かしたり眠らせたり浪費させたりしながら。
器としての「一生」が閉じるまで、動かす。

それが、ヒトの人生ならば。

満足できたかどうか...などは、器を還すその時まで、判断はできようもない。


わたしは、たぶん小学生くらいから、そういう風に考えて生きていた。

「だから存分に使い切る!」
なんて勇ましさも、ないまま。


絵という表現手段は、幼少期から馴染んだものだ。
一人遊びが好きで、それしか好きじゃなかった。
そして、隠れてこそこそ楽しむしかなかった。
広告の裏に描いた絵/セリフやト書きがある数コマの情景などが親に見つかると、こってり浴びせられる小言とともに捨てられる。
自分の個室などなかったし、捨てられる前に自分で捨てることが最大の防御だった。

なのに。
稀に図工の時間に先生から褒められ、教室の後ろに貼り出されたりすると、自慢のネタにされる。
(わたし本人が褒められることはない)

身の回りには、常に、自分には太刀打ち不能な誰かがいた。

決して「TOP」に立つことはないし、その取り巻きグループの中に入る機会もない。

要するに
「この世界」に提供できる価値がない。
と、当時からずっと思って生きていた。

決定的に刷り込み完成となったのが、高校時代のことだ。


わたしは、ワズキャン率いる決死隊の名も無い末端のひとり。
知らずにアビス深層へ潜り、二度と上に戻ることができなくなった決死隊。

この世界という深遠なる大穴の中、ヒトとして地上に出ることができない場所に自分がいるってことを知った。
目の前に広がるのは、未知なる世界。
生きていることが奇蹟で、いつ潰えるかわからない。

そんな感じの世界観を持った子ども時代。

それでも、それなりに楽しかった。



「どんなところも、余すとこなく…ね」

2025年には還暦を迎えるトシになった。
未だに中身はガキのまま。
日に日に進行する老眼と付き合いながら、陶芸したり絵を描いたりしている。

結局のところ、隠れてこそこそやるしかなかった「絵&ものがたりを考えること」で、生かされてきた。

福井県に移住したおかげで、車で3分という至近距離にある施設で陶芸体験教室指導員のバイトも得た。
趣味と実益を兼ねた楽しい時間労働だ。

そこで作品の仕上げ処理など様々な方法を知り、実践し、自分の作品への技術向上にもなっている。

陶芸を本格的にやることになったのも、福井の縁からだったし。

今や、絵画<陶芸という比重になってきている。


わたしは画家であり造形作家という肩書きで名乗らせていただいている。
しかし、学歴も受賞経験もコネもない。
おまけに凡庸で、気分のムラが激しいため淡々とこなし続ける根性もない。
したがって作品点数も乏しく、見せられるモノにも事欠く。

なんという、ないないづくし。

だから。
なにも失うものがない。

わたし自身は発想力に欠けていたとしても、本気で動き始めればこの手が勝手に先導して、何かを創り上げることも知っている。


わたし自身がすべきことは、もう
「祈ること」
だけだ。

天地に
この手を動かす見えない世界に
この世界を動かす存在に


どんなところも、余すとこなく

それが、誰かに何かに受け継がれるかもしれない、ひとかけらの可能性になる。


そんな世界観で、作品や文章を、送り出す。






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緋呂@ひとりからはじめる天下泰平
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