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「ひとりから天下泰平」の環を


生きているというだけでメッセージを受け取っている


結局は、本人が何を感じ、何を信じるか…ということ。

歴史上そうだと「現在」されている記述とか。
そういうものは、確かに、「歴史」として残るほどの時間を経て、それだけのエネルギーを持っている。

だから、それはそれで確かに、「今ある事実」の一つだ。


けれども。
神様達には、神様達ご自身が語りたい物語というのが、あるのですね。

それを聞いてくれる人間を探してる。
だから片っ端から飛ばしてくる。

無差別に飛ばしてますね。


で、たまたま、周波数がちょろっとでも合った瞬間があると、受け取れる。

特別にあなたという人間にこれを送ります…なんてことは。
まあ、残念だけども、ほとんど、ないね。



偶然の一回キャッチ…というものの状態によっては、その後、その人に合ったカタチのものがどんどんじゃんじゃん飛んできちゃうことはある。

それを続けていると、人間も受け皿としての機能がUPしてくるので、より受け取りやすくなる。

そして。

それぞれの人間が、それぞれに合った「物語の一面」をキャッチして。
その者にあった表現で、それをオモテに出していく。


その一つが、前述のような方であったり。
ブログなどで長文メッセージを流している方であったり。
カードなどのツールを使って見る方であったり。
作家や漫画家などとして、創作表現で伝えている方であったり。
絵や音楽であったり。
神社仏閣を巡るツアーを行う方であったり。
リーディングで伝える方であったり。
日常生活の中でメッセージを個人的に活用している方だったり。
たくさん夢を見る方だったり。

商店街を再興しようと一生懸命な皆さんや。
会社の売り上げを伸ばそうと必死な皆さんや。

みんなみんな、生きている人間はみんな。
そういうメッセージを受け取りながら、毎日生きている。

それを殊更、何かに使わなくても。
そういうものを全面に出した仕事をしなくても。
ただ、生きているというだけで、自分に向けられたメッセージを受け取っているってこと。

どれも、全て、一つの「カタチ」であって、正解で。

だから、この人の言うことは間違ってる…とか。
こっちが本物でこっちは偽物…とか。

無いのさね。

ただし。

自分の魂に添わないこと、というのは。
それだけは、間違いだから。


だから、もし私が、今はカケラもやりたいと思ってないのに、ちょっとでも収入にしようとかして日本の神様カードでカードリーディングやります~なんて始めたら。

ペンデュラムなんか使ってみて、守護神鑑定します~なんてやってみたら。

それは、
「間違ってる」
ので、

馬鹿たれ! おのれは何をやっとるんじゃ!!

と、キッツイおとがめが来るわけです、はい(笑)

そのおとがめは、どこから来るか…って言ったら。

自分の魂 から。
くるわけです。

自分自神 から。


でも、もし、気持ちの底の方から、リーディングやりたいと思うようになって、その時に何かのツールを選ぶとして。

カードだな…とか、なったら。

それはそれで、正解。


まあ、今のところそういう可能性は限りなく薄いですけども。
私はツールを使う側よりも、作る側でいたいから。
根っから、手仕事職人なんでね(笑)

あー、結局、何が言いたいかってまとめると。

己の感性を信じればよい

と。

たった一行で終わっちゃったよ(爆)

だんだんわかってきたこと
アメブロ“手が知っている異界の彩”より
投稿日/2012-02-05 13:45:42
https://ameblo.jp/kawazo1151/entry-11155950956.html




前に、「ここから先はダメ」という禁忌ラインが自分の中にあって、そのために苦慮することも多かった...という話を書いた。


冒頭に引用したアメブロ時代の過去記事は、かなり“居直った”後のもの。

もっとも、居直り具合も段階があって、それもまた螺旋階段に似ている。
一段あがったところでまわりに目をやると、前と同じ風景を少しだけ高いところから見られる。

同じテーマがまた巡ってきて、しかし前より違った視点をもって臨める。
そういうことだ。

わたしは自分から欲してカミゴトモドキに関わるようになったわけではないので、むしろ疑問や反発ばかりが先行した。
疑問のいくつかが解消されると「もういいか」と居直る気持ちになる。
しかしほどなくすると別の疑問や、解消したと思っていた疑問に別の角度が見えてきて、また悶々とし鬱々とし、反発心が大きくなる。
その、繰り返し。

居直るという捉え方も溶けてきて“諦め”に近くなり。
そこからさらに、“どうせなら楽しまねば”になっていった。
それでも、未だに疑問はあるし、次々生まれてくる。

これはもう、自分はそういう性分なのだからしかたない、と思うしかない。

そして、そうした反発心反抗心、疑念疑惑の数々を口に出したり文章にしたりと「言挙げ」に及ぶかどうかは、別問題だ。


だから現在、わたしは、散見する様々な疑問について、こうした場で否定的見解を示すことはしないことにしている。
よほどの時以外。


昔は、疑問や反抗心こそ書きたいことだった。
そうしないと自分の中ですら把握/整理ができなかった。

そして。
そんなブログは、毒舌化した時ほどアクセスが伸びた。
コメントやメッセージも多かった。

静かになると、アクセスもリアクションも減る。

それはもう、面白いほどに。



幸アレと願っている人と天下泰平世界平和をひとりから始める環を創りたい


わたしは、もともとが「アクセスを稼ぐため」に書いていたわけではないので。
減ってもよかった。

わたしの中で「この疑問や反発心って、言挙げしなきゃならないほどのことかな」と感じられるようになってくると、書くことが激減した。

一日10更新するくらいに病的に書いていた時期もあったのに。
Facebookのタイムラインにどうでもいいような投稿をするだけの時期が年単位で続いた。

このnoteアカウントも、取得したのは10年以上前だ。
創作アイデアを書き留めるためにはじめたのだが。
書き留めるに至らない(否、どう文章にしたらいいかわからない)ことが多すぎて、活用できないままの年月が続いた。

「ひとりからはじめる天下泰平」
なのだが。
わたしがひとりで天下泰平になっていたら、書く原動力がスリープ状態になってしまった...という。

そこで、今、再起動しようとして、できれば毎日更新したいと思いつつせめて数日に一本は...と試みている。

そんな日々の中でも、毎日のように、毎時間のように、発見や再発見が起きる。

何も無い、ということなんて、あり得ないのに。
「何も無い」って、日々を捉えてしまうのは、もったいない。
そう思わない?


ともかく。
「ひとりからはじめる」を、実践していき、さらにそれを環にしていくために。

「ひとりからはじめる天下泰平」
その生き方、考え方などを
わたしというn1でしかない事例ではあるけれど
こういうこともあるよ、って伝えていくことで、何かのヒントになったらいいな...と。

そのために、駄文を連ねる。
一度はスリープしてしまった動力を再起動させる。
回転がスムーズになり、ほぼ自動モードになるまでは、訓練モード。

目下、まだまだ訓練モード中です。

幸アレ!

と願っている方は、どうぞ、一緒に
「ひとりからでも天下泰平を始められる」
活動を、いたしましょう!

なにも大げさなことをしなくてもいい。

毎日の暮らしで、自分の心を泰平にすることを意識していく。

自分の泰平が、自分の平和が、周りの人に伝わっていく。

その波紋がもっと広がったら、泰平の世が、世界の平和が、できていく。

ひとりが超絶がんばっていくのではなくて。
個人個人で、ちょっとずつ。
その積み重なりが、大きな「泰平」になる。

それだけ。


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緋呂@ひとりからはじめる天下泰平
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