無価値感は、誇りも喜びも虚空へ吸い込む。でも、それに囚われずにいられる自分には、誰でもなれる。
40年は積み重ねた無価値感て、そうそう簡単には取れないものですね。
ふとした弾みに、隙間風のように入り込む。
以前は、そういうのをモグラ叩きのように潰そうとしていたのですが。
ようやく、単に眺めているだけでいられるようになってきました。
それでも、まだまだ、狼狽します。
なんといっても...それと対面することを避けて、創作も絵も辞めたのですから。
今でこそ、高価な値でお買い上げいただけることも増えて参りましたが。
以前、私は、絵描きであることを放棄したことがあるのです。
15年近く、離れていました。
自分では、「全く未練もない」と当時は本気で思っていたけれど。
結果として、戻ってきたということは...
しかも、もはやこの道以外に行く道なし、と思ってすらいる現状。
捨てたつもりでいても、奥底では、やっぱりそこで生きていきたかったのだろうな...と。
無価値感って、ブラックホールみたいなものだな、と思います。
人から褒められることや受け入れられることを、受け止められないんですよね。
全部、虚無の穴へ吸い込まれていきます。
その時、風が吹くんです。
寒い、乾いた風です。
その感覚だけは、あるのです。
それ以外は、全て虚空へ流れ去ってしまう。
誇ってもよいはずのことは、たくさんあったと思います。
それらも全て、虚空へ吸い込まれていくので、何も自分の中には残らなくて。
ただ、通り過ぎた時の寒い乾いた、辛い感じだけが残る。
今は。
「役に立たないなんていうのは、自分の勝手な思い込み」
そう、考えています。
「役に立つかどうかは、他の人が決めること」
そうも、受け止めています。
まだまだ、虚無に吸い込まれる時の風の感覚は、あります。
もしかしたら、永遠になくならないのかもしれません。
それでも、それに煽られない耐性は、つけられるものです。
そして、少しずつ。
誇れるところを、自分自身で、拾い集めて、受け止められるようになる。
誰でも、そうなれます。
今、虚無に煽られてる人がもしいたら。
大丈夫だからね、と。
伝えたいです。