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No ART No LIFE!

コロナで、ほぼ一週間寝込んでる間。
頭痛&重だるさがひどくて起き上がれなくて、寝てるしかなかった。

当然というか、文字を読むとかできないし、ましてや光るモニターを見てるなんて無理すぎ。

音を聞くことも辛かった。


4日目くらいから、動けないながらイヤフォンで静かめの音を流すことはできるようになった。

ずーっと音が鳴り続けるのも少々つらくて、ピアノ曲やらヒーリング音楽みたいなものも、少ししか聞いていられない。

まだ、人が話す声の方が楽。
とはいえ、テンション高めもちろん無理。
大勢の声が入り乱れるようなものも無理。


そんな中。
聞いていても大丈夫な人の動画があった。

画面を見ていなくても問題なく。
たびたび操作しなくてもいい長さがある。

幸いにも、音源はいくつか持っている。
一本あたりも1時間以上あって、一回操作でしばらく動かなくてよい。
何度も聞いて復習したい内容でもあったから丁度いい。
(朦朧として途中で聞こえなくなってても、復習音源だから問題ないし)


昼夜の区別なく寝てると、肝心の夜間に睡眠できないってこともある。
いくら起きていられなくても、寝てばかりっていうのは、それはそれで辛いもので。
横にはなってても、眠るってところまでいけない。
かといって、目覚めてもいない。
そんな「境界線上」で、その人の音源を何度も聞いた。


聞きながら、うっすら、いろんな思考も浮かんでは消える。


後になって意識がはっきりしてきた時。
水底から浮かび上がる泡のごとく。

それら思考が、水泡カプセルに閉じ込められていたみたいに浮上してきた。


No ART No LIFE!
芸術なくして人生なし


なんだそれ。
よくあるフレーズのモジリじゃん。

でも。

コレだよ。

結局
コレ
なんだよ。


まともに思考できてない状態っていうのは、案外、いいものだ。
余分な理屈が入ってこないから、シンプルになれる。

考えすぎ傾向の強いわたしには、なおのこと。


波バージョン@AI画伯
でも実はこれ作りながら、もっと全然違うイメージが出てきてた。
それについては次の記事に譲る。


水泡カプセルの中で、風化しきらずに守られたまま浮上してくることができた思考は、他にもあった。

それこそ、この
No ART No LIFE!  芸術なくして人生なし
みたいに、これまであんまり自分の思考の中に出てこなかったような種類の発想。

急に芽生えたわけではなくて。
これまでの強すぎるくらいの自我の影になって、表に出てくることがなかった
(っていうか、わたしが拾い上げずに見過ごしていた)

未来の景色へ通じるフィルター

である。


それについては、次の記事に譲る。
(ちょっと長く画面に向かいすぎて辛くなってきた......油断は禁物。

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