己を知るとは頭が柔軟であること
「自分探しかよ。その年で⁉️」50才頃お付き合いしていた彼氏に言われた言葉。
あなたは知ろうと思わないのかと尋ねると「若い頃に散々掘った。自分を知り尽くしている。」と。
違和感が肌に刺さったが、「そうなのね。」と流してその場を閉めた。
その後の小さな事象の数々が「この人と私は馴染みにくい。」と思え、今は関係を終えた。
自分のトリセツを若い頃手に入れて活用しているのが、天才と呼ばれ才能ある人だ。
若い頃とは、身体能力に問題なく活動できるという意味でだ。
階段を駆け上がりも、猛ダッシュで降りるのも難なくしていたあの頃、それが出来なくなる日が来ると考えられなかった。
体力も気力も溢れていたあの頃の自分に言いたい。
「今出来ること、やりたいことを精魂こめてやりなさい。今何が大切なのか、丁寧に探して見つけなさい。」と。
私は太めの脚がコンプレックスだった。
身長164㎝で体重54㎏程度。バレーボールもしており、今思い返せば十分カッコ良かった。
「もっとカッコ良い脚なら良いのに。」とずっと思い、7㎝ヒール必須の毎日。
今、思うと膝下長い脚でありたかったのだ。
完全な無い物ねだり。
そこに費やしたお金と時間を惜しむ。
今の私は40㎏あるなし。細い脚は筋肉もしまりもない。
ヒールは勿論、階段の昇降も手摺なしでは出来ない。
太りにくい体質なのだろうか。
40才では50㎏を切る体重だった。登山を楽しんでいたが、一回の登山で体重が2㎏は減少していた。
走ることはおろか、跳ぶことも出来ない。
肥っていても登山を楽しめる身体が欲しいと思う。
そして、若い頃から装いが好きだ。
髪型から始め、どんな服を身につけたら素敵に見えるかを気にかける。
なので自分を見つめぬわけにはいかぬ。
スタイル良く見えることが、変わらぬ目標だ。
オーバーサイズの服を着てもストレッチ強い服でも、頭から爪先までバランス良くスタイル良く見せたい。
そして、持ち物の数少ない暮らしをしているので服数は少ない。
着心地良くてシルエットの良いものしか身に付けたくない。
大好きな一着を毎日着られるのは最高に幸せだ。
こんな考えの私、究極のエゴイストだ。
というのも、自分を見つめ続けて最近わかった。
細い脚でもスキニーパンツとヒールは履けない。
細くても皮膚が弛み、下方に引っ張られた体型。
それでもバランス良くスタイリッシュでいたい。
今日はオーバーサイズのシャツとトロミ素材のテーパードパンツ。
パンツのウエストは10㎝以上大きい。
帯締めで締めている。
おべべ道楽の時代もあり、着物関連の小物はある。
そして驚いた。帯締めが二重になりそう。
道理で、和服の時に扱いが難しいわけだ。
自分をみつめると毎回新発見がある。
若い頃に知りたかっていう事ばかり。
凡人だからね。今であるのは仕方がない。
新発見を受け入れると、頭と心が柔軟になる。
そう、素直になる‼️