見出し画像

忘れられないツアーコンダクター時代


20代で取り組んだツアーコンダクターの仕事は特に印象深いものでした。当時、今のような高性能な携帯電話やナビゲーションはなく、地図を読む力、時間を正確に読む力、初対面の人々の性格を瞬時に把握してトラブルを未然に防ぐ力など、あらゆるスキルが求められました。その上で、何よりも体力が必要な仕事でした。

旅行業は「昼間の水商売」とも言われており、私も別の「仮面」をつけて仕事をしていた感覚があります。読売旅行や阪急交通社の下請け派遣会社で経験を積み、最終的にはJTB専属のツアーコンダクターとして活動しましたが、振り返ると、もう一度やりたいと思えるほどの余裕は正直ありません。それほど厳しく、刺激的で、そして予測不能な日々だったのです。

ツアー中のエピソードは数え切れません。おそらく不倫中の50代の男女が「この旅行のことは誰にも言わないで」と複数回お菓子を渡してきたり、参加者リストに「家族には旅行のことは秘密にしておいてほしい」というメモが残されていたこともありました。サービスエリアでは、おじいさんが道路を横断して大惨事を引き起こしかけたこともありました。

修学旅行では、不良校の引率を担当した際、部屋に灰皿が置いてある光景に驚かされました。宿泊施設で脱走兵が出たり、教師同士の旅先での口論は日常でした。宿泊先では先輩が「部屋を変えろ」と要求してくることもありましたが、理由は乗務員との密会のためだったようです。バス会社同士の派閥争いもあり、業界特有の複雑な人間関係が影を落としていました。

何より辛かったのは、私の責任ではない自然災害や天候不良で観光スポットが見られなかったり、旅に納得がいかない結果の際に、アンケートに八つ当たりのような悪口を書かれることでした。自分の名前を手書きの文字でストレートに批判されるのは予想以上にストレスで、何度も心が折れそうになりました。勿論、中には批判されても仕方ない私のミスもありました。反省。
JTBでは営業担当者の評価がすべてで、相性の良し悪しが仕事に大きく影響しました。理不尽な出来事も多々ありましたが、今振り返ればそれがあの時代のリアルだったのでしょう。

この仕事で得た経験は、楽しい思い出ばかりではありません。それでも、地図を読み解き、時間を操り、予測不能な人間模様をコントロールする力は、ツアーコンダクターという仕事で培った一生の財産です。また改めて、あの頃のことを文字に起こしてみたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!