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ヒューリスティック・シティと「さよなら」

ヒューリスティック・シティは、私がフィロのスに沼ったきっかけの曲です。フィロソフィーのダンスに限らず、人生で一番好きな曲は何かと聞かれたらヒューリスティック・シティと答えるほど大好きな曲です。

別れがテーマの曲なのにいつ聴いてもスッと沁みる普遍性があり、歌詞、曲、ダンス、MV全てが美しく、この曲に触れるたび新たな発見があるので何回聴いても飽きません。
とくに頭サビが大好きです。今回はそんなヒューリスティック・シティ頭サビに関する最近の気づきについて書きたいと思います。

フィロソフィーのダンス「ヒューリスティック・シティ」

自分の思う一般的な「別れがテーマ」の曲は、わかりやすくエモいと言いますか、別れの悲しみや切なさを具体的な言葉や思い出などで表現し、リスナーの感情を揺さぶる、と言ったイメージがあります。

一方のヒューリスティック・シティは、別れの切なさを共感して寄り添う曲と言うよりも、別れの切なさに対して多くを語らず、「わたしが覚えておくから、今を」と包んでくれる包容力の塊のような曲だと思っております。
歌詞から別れの悲しみの深さがイマイチわからないのですが、だからこそリスナーの精神状態問わず、どんな時も寄り添ってくれる懐の深さがあります。(そして気づくと涙が流れています笑)

で、ある日いつものようにヒューリスティック・シティいい曲だな〜(涙)と聴いていると、ふと、「さよなら」って言葉、普段使わないな〜と思いました。

小学校の下校時にクラス全員で言ってた記憶もありますが、それ以外、実生活ではほぼ言った記憶がありません。おそらく「さよなら」と言う言葉に、なんとなく特別な別れを感じるからだと思います。

しかし頭サビ「さよならを 好きだって言えるうちに 次の時代いきましょう」には、そういった「さよなら」の湿っぽさを強くは感じません。むしろ違和感を感じるほどの潔さがあります。(その違和感にめちゃくちゃ惹かれるんですよね!)

よく考えたらあまり使わない言葉こと「さよなら」

そこでふと「さよなら」って不思議な言葉だなぁと感じ、語源を調べてみました。

世界の別れの言葉は基本的に「神のご加護を祈る」「また会いましょう」「お元気で」と言った三つのパターンに分類されるそうです。
ですが、日本語の「さよなら」はその分類に当てはまりません。
「さよなら」とは、左様ならば(それなら)を略した語で、言葉の分類としては接続詞に該当します。

別れのあいさつが接続詞というのは、世界中の言語表現の中でも極めて珍しいそうで、なんとも日本的だなぁと感じます。

そんな日本語の「さよなら」に深い感銘を受けたアメリカ人の女性紀行作家、アン・リンドバーグは、1931年に夫妻で東洋への調査飛行を行い、その経験を題材にした著作『翼よ、北に』にて、「さよなら」をこのように解説しました。

「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない。
〈Auf Wiedersehen〉や〈Au revoir〉や〈Till we meet again〉のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる〈Farewell〉のように、別離の苦い味わいを避けてもいない。
……けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受け入れている。
人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byeであり、心を込めて握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。

AnneMorrowLindbergh(著)、中村妙子(訳)『翼よ、北に』(みすず書房)

名文すぎる……!ここでもう一度、自分の好きな部分を繰り返します。

「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受け入れている。
人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byeであり、心を込めて握る暖かさなのだ。


この文から私は、「さよなら」とは事実をあるがまま受け入れる包容であり、言葉にしない愛だと解釈しました。そして私は思うのです。
これこそまさにヒューリスティック・シティで得られる感動そのものだと!

このアン氏の解説を読み、自分にとってヒューリスティック・シティの好きポイントである包容力が冒頭一行目の「さよなら」に隠されていたのかとハッとしました。

そしてヒューリスティック・シティには日本人の「さよなら」の原点や別れの哲学が詰まっているのかもなぁと感じたのでした。


ヒューリスティック・シティ、5年も前の曲で擦りすぎかなと思いつつ、MVラスサビのダンスシーンがめちゃ好きでこの気持ちを文章化したい欲があります。もう一回お付き合い頂けるとありがたいです🙏

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