公私の分別がない人

最近、とりつかれたように考えを巡らせて勝手に苛立ち、無価値に気力を消耗させてしまうことがあるので、感情を供養するつもりで文章にまとめておく。


「公私の分別がない人」が嫌いだ。

例えば、映画監督が自身の愛人を主演に選んだり、政治家が自身の公設秘書に息子を選んだりする、そういう行為のことだ。

私が苛立っている事例は「恋人の職場に頻繁に遊びに行く」行為なのだけれど、これは「恋人を職業人として尊重していない」ように感じる。まぁ、単純に「仕事場でいちゃついてんじゃねえよ」という苛立ちもある。

小売業や接客業のように客がある程度自由に出入りできる環境なら、一度様子を見に行くくらいは別に構わないと思う。ただ、それでも「頻繁」だと、さすがに眉をひそめる。


結局は個人の価値観次第なので、気にしない人もいるだろうし、私が潔癖すぎるだけかもしれない。それでも私は、前述したような公私の分別がついていない事例は、人間関係や"場"に対して適切な線引きができていないという意味で、バンドマンがファンに手を出すのと本質的に変わらないものだと感じる。

別に、やりたいことをやればいいと思うし、他人の意見を過度に気にして我慢をするくらいなら思い切ってやればいいとも思うけれど、こんなふうに思われる‪──‬ストレートに書けば『軽蔑される』‪──‬場合もあるよ、と書いておきたかった。



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hawky
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