アイデンティティの確立には、がむしゃらさが重要だ
表題の件だが、答えはないかもしれないし、すでに自分の中にあるかもしれないのだが、自分なりに考えてみることにする。
クリエイティブなこととというのはなんだろうか。テーマもモチーフもアウトプットも超広義に渡るだろう。一言で言えば、なんでもいい、のだと思う。現代で言えば、インスタグラムへの写真の投稿や、Xへの簡易的なポスト一つひとつがクリエイティブでありアーティスティックであることが十分に考えられるわけであって、もちろん文章を書いたり、絵を描いたり、写真を撮ったり、音楽を作ったりすることもクリエイティブな作業であることは間違いない。
テーマも、自分の人生を賭けたものであったり、作為的なものであったり、それも色々である。あえてマーケティング的にテーマを絞ることもぜんぜん悪いことじゃないし、フィールドワーク的にテーマセットをしていくこともそれはそれでいいだろう。生き様自体がクリエイティブ、という人もいる。例えば旅人などである。生き様を通じて、みる人に対してアートを伝えている人も少数だがいるだろう。
まぁ要は、かなり広範囲に広がっているということである。そんな中で自分は一体何ができるのか、なにをすべきなのか、ということを考えたいということなわけです。何ができるのかと何をすべきなのかは両極と思いきや、その両方を重ね合わせないと答えが出てこない。よく、何がマーケットから求められていて、自分には何ができて、自分は何がしたいか、ということを考えることがビジネスでは求められるが、クリエイティブやアートを趣味に落としこまず、ビジネスに昇華させようとすると、やはりコアなアイデンティティ(できること)を見つけ出して、そのマーケットがどの程度あるのか、どのようにリーチすればいいのかなどを考えて、それを具体的に、できる限りの時間と労力を使って実行していくということになるだろう。
なかなか大変な道かもしれない。
商業的なロールというのは、いわゆる「業者」的な状態がほとんどであり、「作家」的な作業を求められることはない。一般的には、スキルがあれば誰でもできることや、適正な思考と行動をすることができれば、「作業」やそれを行う上での「思考」を代替してくれたということで、その業者的な作業に人や会社はお金を払うもんである。しかし、作家となるとそれが全く異なる。作家業はおそらく、その人が集めた情報を、その人にしかできない表現方法で新たにアウトプットする作業だから、それに対価が発生するんだと思う。
業者的なものには、自分が事業主になる方向と、サラリーマンになる方向の二種類がある。事業主になる場合は、そうした業者的な人材を集め、取りまとめる作業をする人員を集め、収益化するスキームを作らなければならない。サラリーマンの場合は、大枠、一般的な人員の場合、仕事をする上で必要なプライマリースキルやビジネススキル、マインドセットや固有のスキルセットを、毎月お金をサブスク的に支払いしてくれる会社に提供するわけである。これはできる人はできる。俺もある一定水準、できると思う。ここから得られるのは、安定的な利益・収益と、社会に貢献している、だったり、組織に属しているという謎の安心感である。謎ではあるが、これがやっぱり大きいんじゃないかなと思う。まとめると、金と安心、である。
あと、まともに感じられるんだと思う。事業主として一般的なビジネスラインにのれるようなスキームを作れた自分を誇れたり、クライアントのためになる(おれはこういう感覚は一才ないが)とか。サラリーマンだったら、まともな会社に雇用されていること自体が自己肯定感の高まりに繋がるだろうし、自分のプライマリーあるいは固有のスキルを毎月固定額で買ってもらっていること自体、「売れている」=「自分の市場価値がある」ということだと錯覚してもなんら差し支えないというか、そうやって錯覚すること自体に妙があるのである。それができるから、人は安い金で動くのである。組織化されたビジネス構造は本当に、言語化すればするほど、「よくできた仕組み」と思う。
一方作家業、クリエイター業はどうだろうか。まず、何かの代替物であるということ自体、性質として拒否しているのだから、上のような金の稼ぎ方はできない。むしろそうなりそうになったら(そうなるように仕向けてくる動きはどこにだってある)、拒否すべきだろう。やはりアイデンティティや、アウトプットに対するオリジナリティある基準や、一般人以上の厳格な基準を持つべきだ。それが作家の基本水準、装備だと思う。アイデンティティやオリジナリティのある処理方法や判断基準が、独自の制作方法を持っていない人はクリエイターやアーティストになれるのか? 多分、なっていい。だが、それがない場合は、あくまで趣味に終始すべきだ。趣味で自己実現してもいいと思う。自称、クリエイターだったり、アーティストだったりしてもそれはそれで全然問題ない。が、それを趣味じゃなくて、あくまで商業的に昇華させようとすると話はまるで変わってくる。
では、どうやったら、アイデンティティを確立したり、独自のアウトプット生成の方法論に行き着くことができるのだろうか。それはがむしゃらにやるしかないのではないだろうか。数と、出来上がったものと、何かしらの、誰かしらの反応から推察してアイデンティティの精度を高めていくしか方法はないと思う。まずは手を動かす。そのためのエネルギーを日々蓄積する。そのために、酒やタバコや恋愛などあらゆるエネルギーを解放するような作業から自分を遠ざけていく。アイデンティティの確立までは、がむしゃらにやることが大切。