【Open Letter】寛生からテルへ。(2019/10/31)

拝啓 テル様

土砂降りを眺める度に『天気の子』を想い、降り止まぬ雨粒は「若者たちの怒りの涙かもしれないなぁ」と思案する秋霖の折ですが、テルは直径2メートル超の水たまりを前にしていかがお過ごしですか。

今宵はハロウィンだそうです。「ジョーカー」のメイクで小躍りする若者をリーチマイケル面のサラリーマンがタックルするのでしょうか。テレビ局は今年もスクランブル交差点で煽動的な中継をするのでしょうか。「たおすなよ」とマジックで書いた軽トラをTSUTAYAの前に放置したのは誰でしょうか。

僕は今、あの「僕らからビーム」から10数年経って、発作的にテルに手紙を書いています。ただ発信したいのであれば<手紙>でなくても良かったのかもしれません。でも今は<手紙>という形が相応しい気がしているのです。

発信や創作への飢え、渇きを潤していれば安心できた当時から、僕たちも世界も随分と老いました。ただの感情の表出でさえ、裏付けの無き表現は、無意味として<処理>される時世です。学術的根拠や入念な取材や当事者経験などなくても、素人なりに表現の自由を叫べばいいのですが、正直、一人で叫ぶことが少し怖いのです。

生まれたばかりの面白いことは、とても弱いです。「これは面白いはず!」と信じたいけど、弱いのです。面白そうなことは、「ヨチヨチ歩き」ができるぐらいに「育つ」までは、誰かに側にいて欲しいのです。だから<手紙>という「揺りかご」に入れることにしました。

私的な手紙ですから、公益性とかアート性とか言われる筋合いはありません。半分本音、半分言葉遊びですから、因果関係とか起承転結とか物的証拠とかは二の次三の次です。ただ面白そうなことを書き綴り、便箋を往来していくうちに、わくわくするような発見が「育ってくる」と信じて止まないのです。

そういえば、先程見かけた風俗雑誌の表紙に「誘惑の秋」というフレーズがありました。嗚呼、秋ってそうでしたね。どうかご自愛ください。 敬具

寛生より。
斉藤和義「いたいけな秋」を聴きながら。