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#002 the ROOTS
VRChatの友人から「DJ始めたオリジンを是非。hirokinさんの何が始まりだったのかを教えてほしい。」と内容の指定を貰ったので、今の自分に繋がるルーツを考えてみようと思う。
音楽の原点
音楽に触れはじめたのが何歳か、というところは正直覚えていない。
音楽一家に生まれ、物心がつく頃には自分の構成要素の一つになっていた。
いま自分がDJで流す音楽とは全くの別ジャンルではあるものの、自分の身体の根幹になっているのは間違いなくこちら側である。
Ban Ban Bazar
Ban Ban Bazar(バンバンバザール)は、福島康之氏と黒川修氏による日本のオールドタイミーなバンドである。自分がよく知っているBan Ban Bazarはこの二人に富永寛之氏を足した三人組の印象が強い。
100%親の影響であり、家や車で流れている音楽といえばこれだった。
公式チャンネルの一番古い動画がこの『情熱のありか』だった。
「三人組の印象が~」と書いておきながら出してくる動画が三人じゃないのは許してほしい。ここでたくさんの楽器に触れたことが後々響いてくる。
MOONRIDERS
MOONRIDERS(ムーンライダーズ)は日本のロックバンドである。
これも100%親の影響であるが、自分が覚えているアルバムは15thアルバムの『Bizarre Music For You』だけである。それ以外も親は持っているのかもしれないが、これ以外で聴いた覚えがないので真相は謎のままである。
公式音源がYouTubeにアップロードされていないので、どんな曲か気になる方は是非調べてみてほしい。
SUPER BUTTER DOG
SUPER BUTTER DOG(スーパーバタードッグ)は日本のファンクバンドである。またまたこれも親の影響で聴いていたもの。
自分が覚えているのは5thアルバムの『grooblue』である。
同アルバムの最後の曲に『サヨナラCOLOR』という楽曲がある。
俳優・映画監督の竹中直人氏が本曲にインスピレーションを受け、映画『サヨナラCOLOR』を制作。本曲はそのまま主題歌になった。
それからしばらく経ち2023年9月。自分がただただ興味で見ていたテレビドラマ『パリピ孔明』からこの曲が聴こえてきたときはとても驚いた。
とてもいい曲なので知らない人は一度聴いてみてほしい。
Palosiks
Palosiks(パロシクス)は世にも不思議なオルケスタである。
……
それ以外の情報がネットに転がっていなかった。
音楽ジャンルとしてはトラディショナルにあたる。
分からない人へ簡単に言い表すなら、無印良品で流れてそうな楽曲である。
また、アルバム全体で一つのテーマを決め、それに沿った楽曲を全曲オリジナルで展開していくものもある。
自分がPalosiksに初めて出会ったのが何歳のときなのかは全く覚えていないが、家族で行った小樽倉庫のレストランで彼らがパフォーマンスをしていたのは記憶に残っている。レストラン全体をまるで一つのステージかのように移動しながら演奏するライブはそれはもう素晴らしい体験だった。
【みんなで作り上げる音楽の楽しさ】に気づいたのはここかもしれない。
自分の手持ち音源としてアルバム『旅立ちのブランル』『fada』『Go』のデータを残してあるので、聴きたい人は教えてください。
ピアノ
「ピアノを習ってみたい」と親にお願いしたかは正直覚えていない。
ただ、家にずっとアップライトピアノがあり、母も祖父もピアノを嗜む人であったためその影響で始めたのではないかなと思う。
最初は地元のヤマハ音楽教室でエレクトーンを、親の事情で越してきてからは幼馴染と同じ個人指導の先生にピアノのレッスンをお願いしていた。
ピアノは最終的に6年ほど続け、当時HondaのCMで使われていたベートーベンの交響曲第9番第4楽章『歓喜の歌』や、ショパンのNocturneOp.9 No.2を弾けるくらいにはなった。
合唱
4歳上の兄が合唱好きだった。
毎年ちゃんとNHK全国学校音楽コンクールの課題曲を調べ、放送を見るくらいには好きだった。そんな兄の影響を受けて自分も好きになった。
しかし、どちらかというと好きになったのは歌う側より指揮者側だった。
ピアノを習っていたことから合唱の伴奏役というのも選択肢にはなっていたが、自分の中でピアノの技術を上げるより全体の完成度を高め、より気持ちいい方向に持っていく方が性格に合っていた。
合唱中に手元で指揮をしていてときに褒めてくれた小学校の先生に感謝。
吹奏楽(中学)
項目『Ban Ban Bazar』のなかで触れた大所帯のメンバーの一人に、トロンボーン奏者がいる。親からも「細くて背が高いからトロンボーンとか似合いそう」と言われて俄然興味が湧いていたのもあるが、目立つことよりサポート系の動きが好きだったため、自分でも中低音域の楽器が気になっていた。
が、吹奏楽部に男子が入ったときなんて結果はほぼほぼ決まっていて、そのまま流れで最重低音楽器のチューバに落ち着いた。
自分が吹いていたのはJupiterというブランドの銀色の4本ピストンだった。顧問の先生によると、もう一台あるYAMAHAの金色の3本ロータリーと比較して扱いが難しく、初級者向けの楽器ではないとのことだった。
そんなことを聞いてしまうとチャレンジしたくなるのが男子というもの。
遠い昔の記憶なので詳しく覚えてはいないが、確かに難しかった。
でもそれ以上に銀色の金管楽器と低音のカッコよさに惚れてしまった。
自分しか鳴らせない低い音、ただそれだけのために腕を磨き続けた。
吹奏楽(高校)
仲の良い2歳上の幼馴染が通学していたということから選んだ高校に入学。
案の定そこでも吹奏楽を続けるという選択肢をとったが……
そこには【全国大会常連の強豪校】という景色が広がっていた。
ここの部活に入るために推薦で来たという部員や、ここに入部したら顧問が新品の楽器を用意してくれるという約束で来たという部員がいるレベルの激ヤバ高校だった。
幸いなことに自分と同じような状況の先輩や、高校から吹奏楽を始めた同期など仲間に恵まれていたので、孤独を感じることはあまりなかった。
全体的な技術という面ではガチ勢に敵わなかったが、自分には中学生の頃から磨き続けた最低音のスキルと、元から持ち合わせていたリズム感のおかげで周囲から期待と信頼が置かれていたのが実感できた。
部内での詳しい業績なども書きたいところだが、さすがに個人情報が割れすぎるのでここでは省略。聞きたい人は自分に直接聞いてください。
ちなみにDJ友達のイヌザキ(https://x.com/Inuzaki_maru)はここが初邂逅。自分とは別のルートからDJになっててマジで驚きました。
高校卒業後
吹奏楽部を卒業した生徒が趣味で音楽を続けたいと考えたとき、必ずといっていいほど陥る【楽器を買えない・吹く場所がない・保管する場所がない】の負の三拍子は、案の定自分にも訪れた。
ただ自分は元々音楽がないと生活が出来ないタイプであったため、そのまま流れで【音楽を聴く】という方向にシフトしていった。
CDコンポ。ヘッドホン。デスクトップスピーカー。
いい音に囲まれる生活は最高。ただ新しさと面白みがなかった。
そんなことを思いながら数年が経過し、世間はコロナ禍へ。
MusicUnity2020
『MusicUnity2020』を知っているだろうか。
MusicUnity2020:通称MU2020は、秋葉原MOGRAが日本全国のクラブ、ライブハウスなどの協力のもと配信されるノンストップ形式のライブストリーミングフェスである。
簡単にまとめると、コロナ禍で営業できないクラブや各アーティストの自宅をインターネットで繋ぎ、パフォーマンスを配信するというもの。
ユニーク視聴者数は10万人を超え、特設ECサイトとドネーションシステムからは多くの収益を得て大成功を記録した。
ただ自分がこのイベントを知ったのは、そこがきっかけではない。
MU2020を配信していたライブストリーミング配信プラットフォームである『Twitch』にはレイドという、自分の配信を観ていた視聴者をまとめて別のところに送り込む機能がある。
そのレイド機能によって、自分が好きで観ていたとあるお絵描きストリーマーの配信にMU2020で満足した大人達がどっと流れ込んできたのだ。
そして流れ込んできた視聴者は配信主と
視聴者「DJやらないの?」
配信主「DJ機材分の金額ビッツくれたら買うよ」
というやり取りを交わし、ノリに乗った視聴者は当時の入門機種である『DDJ-400』が購入できる額の投げ銭をし、配信主は流れでDJデビューすることになってしまった。
ここが自分が初めて触れたDJ文化である。
D-YAMA氏との出会い
【DJってどんなイメージ?】
仮にそういう質問があったとして、DJ文化について詳しくない人は「チャラそう」とか「治安が悪い」といったような感想になるだろう。
実際自分もDJ文化に触れる前はそうだった。
脳内にDJ KOO氏が浮かび、TRFやm.o.v.eが流れ始める。
もちろんこれらが間違いとは言わないが、実のところはそうではなかった。
先述したMU2020のレイド機能で流れ込んできた視聴者は、秋葉原MOGRAというところから来たことが分かり、新たな音楽体験を求めてMU2020の最終日の配信を観ていたときのこと。
当時、秋葉原MOGRAの店長をしていたD-YAMA(だーやま)氏のDJプレイを観て自分が抱いていたDJへの偏見はひっくり返った。
「DJって星野源とか繋いでいいんだ!」
そうしてDJを趣味で始め、今に至ります。
おわりに
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
「DJ始めたオリジンを」というお願いだったのに、気づけば4000文字も書いていたみたいです。
自分の音楽歴をちょろっと話す程度のことは今までも何回かしてきましたが、ここまで情報を揃えて出すのは自分でも初めてだったので、音楽を聴き直すきっかけにもなって楽しかったです。
今回のように「これについて書いてほしい」などリクエストなどありましたら、TwitterでリプするかVRChatで出会ったときとかに教えていただければ幸いです。
それでは。