サッカーを否定的に考えたとき

おはようございます。

今日は大学院時代の話をしたいと思います。


大学時代は、裏方として活動をして、さまざまな活動を通して人を導くようなことをしたいと思うにいたりました。


採用試験も受験したものの(結果不合格でしたが・・・)


自分の中ではさらに進学するということが頭の中にありました。



大学院で学びを深めて、将来はJクラブのコーチになりたい。


そう思っていました。


しかしながら、実際にはそうなれませんでした。


なぜなら(個人的な解釈ですが)、私には論理性や軸がなかったからだと感じています。


実力のある選手や、卒業後プロになるような選手もいる中で、的確なコーチングができていなかった。


その選手が何を求めていたのか、どのようなアプローチがよかったのか、

正解はわからないけれど、


圧倒的に論理性と軸がなかったことを痛感しています。



時系列にそった話はこの辺にしておきます(終わりが見えないので笑)


僕は、サッカーと隣り合わせの生活をしていますが、


今までで刺激(衝撃)を受けたエピソードを今日は並べていきたいと思います。


①中学時代

中学に入学し、それまでの町クラブで続けるメンバーと中体連の部活動でサッカーを続けるメンバーとに分かれました。

どちらにいったメンバーとも分け隔てなく過ごしていたのですが、


ある日の会話でこんな話になりました。


「将来、何になりたい?」


僕は当然のように「プロサッカー選手になりたい」と言いましたが、


めちゃくちゃ笑われました。


お前はまだそんなことを言っているのかと。


ショックというか、あぁ、そうじゃない人がいるんだと感じた出来事でした。

しかし結果的に僕はこの「じゃない人もいる」が人生のひとつのキーワードになっている気がします。


②母の死

大学院でコーチをやっているとき、


母が倒れました。


実家から(2時間くらいかけて)通っていたので、練習後、その連絡を見てすぐに帰宅。


意識はもうなく、そのまま帰らぬ人となりました。


人が、しかも親が、生死をさまよう戦いをしているときに、自分はサッカーをしていた。


すごく自暴自棄というか、無になりました。


職業選択の時期とも重なり、どうしたらいいのかわからなくなりました。



初めてといってもいいくらい、サッカーだけが人生じゃないかもと思った出来事でした。


サッカーを生業にしている人がサッカーだけの人生になっているということではありませんが、僕にとっては、違う考えも尊重されるべきだなと価値観が変わる出来事となりました。そして、結果学校の先生になろうと思いました。


今日はここまでにします。


次は、「障害と自分」についてのかかわりを書こうと思います。


お読みいただきありがとうございました。




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