部活動の意義
こんにちは。
ここ数日連日で更新できていましたが、2日ほど滞ってしまいました。
最強で最弱の言い訳をさせて頂くと、とても忙しくて…笑
こんな言い訳はダメですね…
本題に入ると、今日は部活動の意義について話したいと思います。
近年、部活動に関しては、
ブラック部活動
体罰問題
勝利至上主義
あらゆる問題から、教師からもはたまた子どもからも煙たがれている現状があるように感じます。
私は、部活動に関して肯定派です。それは自分がその畑で育ってきたという自覚があるからということもありますが・・・
ブラック部活動、体罰問題に関してここで論じることは避けます。
勝利至上主義や部活動の在り方について。
そもそも、部活動は教育において特別活動に位置付けられます。
特別活動ですから、全員に義務付けられる活動ではありません。希望した子どもたちのみを受け入れ、行っていく活動ですよね。
ですから、本来、勝利至上主義であるべきなのは、子どもであって、指導者であってはいけません。
しかしながら、教員、指導者は自分たちが指導している子どもたち―それはとてもかわいく思っている人が多いと思います―の希望や意志に沿うように勝利を目指し、こだわります。
そしてその思いがどこかのタイミングで子どもたちのそれとパワーバランスが逆転して、過剰な勝利追及、試合に全く出れずに終わる子どもたちが出てきて、それにフォーカスされているという状況でしょうか。
これについて私見を述べます。私見です。
勝利を目指すのは、当たり前。チームとして勝利というより目標を達成するために準備していくこと、これがトレーニングであり、一人一人がどのような取り組みをしていくべきか、これが試合でのプレーになると思います。補欠の子どもももちろん試合に出れる機会が必要だと思いますが、どうしても出せない時であっても、役割を認識させる必要があると思います。
そして結果が伴わなくても、それは指導者の責任です。それは自分を追い詰めるのではなく、もっとブラッシュアップしなくてはいけないと考えるべきです。
補欠にも役割を…のところですが、これは自分の信条として「リスペクト」というところに関わっています。
集団での活動をスムーズに行うとき、お互いをリスペクトすることが必要だと思います。
教員の職場でもそうです。会議で議題が紛糾して論議になる際、よくケンカ気味に口論みたいになる人たちがいますが、(自分もそうならないよに気を付けています。)それはリスペクトの精神に欠けているのではないでしょうか。
今日の感染症に関しての対応についても、お互いを尊重して、自粛となるよな行動が生まれこなければいけないと思います。
また、部活動に取り組む子どもたちに対して、社会へのつながりを意識させなければいけないと考えます。
今回の感染症の問題で、ほとんどの場所で部活動やスポーツ活動は制限されていることかと思います。
社会も、宣言に伴い、色々なことが制限されています。
このことからも、部活動は、社会とは関係のない異世界で行われているものではないということがいえるのではないでしょうか。学校が社会に開かれるべきということですから、それは当然ともいえますが。
すなわち、子どもたちには、少し難しいかもしれませんが、社会の中でその部活動、ここではサッカーとしますが、をやっているという意識をうえつけなければいけないと思います。
具体的にどうするべきか。まずは、応援される存在になる必要があります。学校の中で、サッカー部が色々な活動に貢献するべきです。この時にアピール活動ではなく、学校(社会)に対して果たすべき当たり前の行動なのだという意識が大事だと思います。
このような活動を始め、もっともっと社会につながりをもって活動を展開していくことができれば、部活動の可能性は大きいと思います。
ゲストスピーカーに来てもらって仕事についての講演とかもしてみたいです。
今日はこの辺までにします。
次は、サッカーの中身について。
こういう活動ばかりするのではなく、サッカーも強くする。これが必要だと考えます。
お読みいただきありがとうございました。
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